2011年11月8日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・一日一禅 <標高188m>

              【禅語にふれる歓び】

       山は高く水は深し 虚堂録

修行をするなら、誰にも言わず、静寂のうちに修練をつんでいかなくてはならない。不動自然(ふどうじねん)の境地

京都紫野に大徳寺を創建した大燈國師・宗峰妙超の言。

                        庵主

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・画廊・馬岩(バロック)<標高187m>

今日は暦の上では「立冬」です。いよいよ本格的な冬の到来を感じる妙高高原です。さて冬支度をしている中に、来年のカレンダーが送られてきました。それは私達家族が公私にわたってお世話になっているTさんからのものでした。


「和紙と墨絵」の技法を使って創作されたカレンダーでした。どこに飾ろうかと今から心ときめいております。そこでまず【画廊・馬岩(バロック)】に展示させていただいてTさんへの感謝の気持とさせていただきます。


Imagined by Jun

平成24年がわたしども日本とそこに住む人々にとって、平和と安全の日々が続く事を祈りながらこのカレンダーを掲げたいと思います。Tさんもお元気でお過ごし下さい。

2011年11月7日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・休養の日<標高186m>




妻の作った『チョコレート』を食べながらの一服も

たまには良いもんだな 今日も休養日ということに

By Jun

2011年11月6日日曜日

2011年11月5日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・山の恵み<標高184m>

【ラズベリー】


秋のおわりに真っ赤な実を付けて楽しませてくれるラズベリー

畑仕事の一休みのあいだに そっともいで口にいれる

上品な甘さに少しの酸っぱさが木イチゴ独特の自己主張を感じる

妙高山の恵みに感謝しつつ冬を迎える準備をしている

Presented by Jun


2011年11月4日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・朝のポエム<標高183m>

【マルーンの首飾り】


Imagined by Jun


マルーンの首飾りを君にあげよう

高原を駈けていく車の窓に朝日が輝いて

きょうも仕事に出て行く娘を飾る

森の香りと風の語らいを添えて

明日の朝ボクの手でこの首飾りを君に 

2011年11月3日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高182m>

流一平氏よりの便り・裏磐梯高原発


流一平です。裏磐梯よりおじゃまします。

さて今日はこの裏磐梯に生活する者として是非知っておきたい事があるのです。それは今を去ること120年前(当時)の出来事でありました。時は明治21年(1888年)715日の朝7時過ぎに遡らねばなりません。

明治21年と言いますと、3/9には梅原龍三郎(画家)が、12/26には菊池寛(作家)が生まれています。また7/19には山岡鉄舟が死去しています。遥かに遠い昔の事であります。

さてこの年の715日朝7時過ぎ、ここ磐梯山では何が起こっていたのでしょうか。この日磐梯山麓桧原宿に住まいをしていました式守清太郎(仮名)は、7時半頃に強い地震を感じておりました。

その約15分後、小磐梯の山頂部が水蒸気爆発により破裂したのです。直前の地震は火山性地震の発端だったのです。爆発は20回ほど続き、最後の一発は北に向けて抜けたのです。

これによって、小磐梯の山体は粉々となって北に向かって流れ下りました。この日は快晴で西北西の風が吹いていたようで、火山灰、火山れきは東南東方面に流され、太平洋岸まで達したとの記録が残っています。

式守清太郎は村の役場の仕事をしておりました。山の状況を見た彼は村民を避難させるべく自分の家の事を顧みることなく走り回りました。

彼の住む桧原宿は大量の岩屑流によりせき止められた湖の底に沈んでしまったのです。その時形成されたのが桧原湖、小野川湖、秋元湖などの湖でした。長瀬川の流れが泥流によってせき止められた結果の産物でした。

五色沼をはじめとしてこの裏磐梯には大小300にも及ぶ湖沼が出来たのでした。それは噴火による窪地などに雨水がたまったものでした。皮肉な事にこの大災害が、後の時代に裏磐梯高原の景観を作り上げたのでした。

この磐梯山大噴火による被害は、被害地戸数463戸、埋没破壊戸数約100戸、被害地人口2,891人、死傷人口約518人、死亡者477人であったのです。

式守清太郎は村民救済に走り回る中、力尽きて泥流に飲み込まれてしまったのです。彼も桧原宿と共に湖の底に眠っているのです。今も渇水時には当時の神社の鳥居や参道が現れるのだそうです。

残念ながら当時は、火山に関する研究も初期の段階でした。気象台でも火山観測は実施されていなかったのです。当然地元に住む人々は誰一人として、磐梯山が噴火する事に気づいてはいませんでした。しかし、噴火の数日前から磐梯山周辺に生息する動物たちが避難行動をとっていたという記録も残っているのです。

私、流一平も今から120年前(当時)の磐梯山麓を襲った災害に命を落とされた方々のご冥福を祈りつつ、行く夏を惜しみたいと思います。ではまたお目にかかる日を楽しみに。

(この項、磐梯山噴火記念館だよりを参照しました)


この写真は妙高山の頂上付近を写しています。今ではC級火山として終息の方向にあります。標高2454mの高さを誇っております。5000年前の大噴火で頂上部分が吹き飛んで、現在の平らな形状をしていますが、元は3600m以上の急峻な山容だったようです。庵主