2012年10月11日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス<標高 467m>


日本旅行協会『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第  15 



日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より

北信濃温泉周遊 別所、田澤、沓掛、戸倉、上山田、平穩七湯
                            田中 聖二

みすず刈る國信濃路の旅ーー蒼くたかく杳とした空と白雲と、そしてそのしたの果てもない山脈。高原地帶の密林のなかに匂ふ白樺。峡路の底をさんさんとして流れる千曲河原に咲く宵待草の美しさ。


信濃への旅は私の永い間の夢であった。都會の巷塵に埋もれながら、その濁った空の彼方に私は常に聖爽とした山脈や草原や温泉を夢みてた。信濃の生んだ詩人島崎藤村が歌ってゐる。



小諸なる古城のほとり 雲白く遊子かなしむ

暮れゆけば淺間も見えず 歌哀し佐久の草笛



遂に私の旅情は、私を信濃路の遊子として、漂然と上野を發たしめて終った。山河極まりない自然のふところへーー



夜行十一時十五分上野驛を發車した汽車は、横川で電氣機關車を連結させて、上信の國境碓氷峠を越え、二十七のトンネルを通過して井澤で黎明を迎へる。ほのぼのとした朝霧を透して展開された風景ーー打ち續く草原の彼方、なびき合ふ薄や尾花や、白樺の林の間に見えがくれして點在する赤い家や三角の屋根のある建物。

この野趣ある異國的な風景は人の心をすっかりエトランヂにして終ふ。軈て汽車は矢のやうに信濃路を指して走る。山に阻まれた沿線、落葉松と白樺の林をくぐり、佐久の平原を過ぎ、黒煙と共に火を噴く淺間を右にして上田驛だ。


には眞田幸村の城址がある。徳川秀次指揮の關東百萬の軍勢をこの小城ひとつで食ひとめたと言ふ軍記で馴染深い古城である。
私は上田から西南二里二十丁の別所温泉を先ず志した。別所温泉は電車で四十分(三十三錢)激流岩を噛む千曲川を南に越え、藍田平の極まる處、男神岳と女神岳の裾合にある眺望開溪。とほく
淺間
の噴煙を望むことができ、廣漠たる平原のなかを千曲川が銀色に輝いて長驅北行して
るのが見える。



往昔日本武尊が東征の途次、大己貴命の示現によって七カ所の噴泉を開かれたと言はれてる。だから別名七苦離の湯とも呼んでる。又天武天皇の御製の『信濃なる古き宮居の女夫山萬代つぎてみたらしのみ湯も此の地を詠ぜられたとも思はれる。町にはなまめかしい湯のかほりと、絃歌が常にみちてる。旅宿の二階の手欄に倚てると、道を通る藝者が聲をかけて行く。


<庵主よりの一言> 今日から田中聖二氏による『北信濃温泉周遊』をアップさせていただきます。80年ほど時は遡って、長野県北部の温泉地を紹介しています。この写真は記事とは直接関係はありませんが、信越本線黒姫駅前の風景です。この『ふじのや』(藤野屋旅館)さんは登録有形文化財に指定されており、創業明治43年と言いますから、105年の歴史を刻んでいます。ゆっくりと、ほっこりとしたタイムスリップの旅を楽しんでみて下さい。

(庵主の思い出日記:時を戻して)より 続きます


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