日本旅行協会『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 16 回
日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より
「北信濃温泉周遊」 別所、田澤、沓掛、戸倉、上山田、平穩七湯
田中 聖二
別所温泉ではーーー兄さん、今晩は、お寂しいでせう。
と馬鹿に察しのいいのがゐて嬉しくなる。
▶温泉は硫黄泉と、單純泉の二種類があり、レウマチス、痛風、婦人病、皮膚病等に効能がある。面白いのは石湯と言ふのがあって自然石に圍まれて湯槽をなしてゐる。男女混浴である。
名勝として、北向山大悲閣、脊後は山お負ひ北に面し間口五間奥行七間、二重の杮葺で本尊は千手觀音。護摩堂は不動明王を祀り、天文二年慈覺大師の開基だと言はれてゐる。維茂塚、温泉場の入口左側小丘の上に草に埋もれてゐる。七尺五寸、四面八重の石塔で、
餘五の將軍平維茂が戸隠山の鬼女を退治した際の手創をこの温泉に療し、此の地に歿したその墓。
▶旅館には、柏屋、花屋、新井屋、萬屋、上州屋等が大きく、いづれも一圓五十錢から三圓位。何處にも内湯がある。
▶名産 七久里漬、七味唐がらし。
上田に戻り、青木行の電車に乗ると西南四里と言ふ處に田澤温泉がある。青木迄電車賃三十三錢。青木から乗合自動車で三十丁四十錢で行ける。
田澤温泉は海抜二千二百尺の高地にあって、子壇弓獄の麓にある。三面翠山に擁せられ、上田盆地の一帶が下瞰でき、實に雄大な眺望を持っている。
たまりや旅館の内湯になってゐる子持湯と言ふのは、坂田金時の母山姥の産湯として婦人客が好んで入浴してゐる。此の温泉は都會の知識階級の客が多いので氣持がいい。
附近には又沓掛温泉がある。青木から乗合自動車で四十錢。この温泉は無色透明、硫化水素を有し、關節炎、痔疾、神經痛に効能を持ってゐる。
上田から信越本線で更に北行三つ目の驛戸倉で下車すると、戸倉温泉と上山田温泉がある。驛から十三丁、自動車十五錢、戸倉は千曲川に沿って軒を竝べ、上山田は山を背景としてゐる。此の邊の千曲河原は實に美しい風景を持ってゐて散策にいい。
正木不如丘作るところの千曲小唄に、
岩間逃げ水よひそひそ小道よ 木の根草の根わけてきて
さざめき合へばよ うわさ末廣千曲川
宵の睦言 ほろほろ河鹿よ
戀の姿の月見草 湯の町戸倉よ うわさ末廣上山田
と言ふのがあるやうに、河原の夜となれば月見草がぽっかりと音して咲き、河鹿がほろほろと實に可憐な聲をたてて啼いてゐてひとしほに温泉情調をそそってゐる。戸倉も上山田もアルカリ性の反應のある硫黄泉で脚氣、消化器病、皮膚病、痔、神經痛によく効く。
▶名勝には、
姥捨山がある。一里二十町、北西の山麓八幡部落まで乗合自動車の便がある。姥捨山は觀月の名所として知られ、田毎の月が名高い。『嫂(あによめ)や姥ひとりなく月の友 芭蕉』
『信濃にも老の子はあり今日の月 其角』
『歸る雁田毎の月のくもる夜ぞ 蕪村』
八月十五夜滿月は千曲川を隔てた相のやま鏡䑓山にかかり眺望がよく、又遠くに川中島平のはて長野市の灯がきらめいて美しい。對岸坂城の町には葛尾の古城址がある。
▶名産、
名産として眞先にあげねばならぬのは「更科蕎麥」であらう。その風味は流石本場だけあって美味。その他杏、柿、松茸、千曲川で獲れる鯉。
▶旅館、
戸倉ーー笹屋、千曲館、戸倉ホテル等
上山田ーー龜屋、柏屋、上山田ホテル等
皆内湯の便があって家族同伴に適してゐる。宿賃一圓五十錢から三圓程度、自炊ができる。
<庵主からのひとこと>
今から80年ほど前の紀行文ではあるが、懐かしい地名やら、いまだに現存する旅館等もあって、その時間の流れの中での紆余曲折も偲ばれるのである。金銭感覚は如何ともしがたいが今の宿泊代が仮に一泊二食付で15,000円とすれば、当時の10000倍か。乗合自動車(タクシー)が2km15銭だったとすれば今の価格では単純に計算すれば1,500円になる。なるほど納得は出来るというものだ。
<庵主からのひとこと>
今から80年ほど前の紀行文ではあるが、懐かしい地名やら、いまだに現存する旅館等もあって、その時間の流れの中での紆余曲折も偲ばれるのである。金銭感覚は如何ともしがたいが今の宿泊代が仮に一泊二食付で15,000円とすれば、当時の10000倍か。乗合自動車(タクシー)が2km15銭だったとすれば今の価格では単純に計算すれば1,500円になる。なるほど納得は出来るというものだ。
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