【男達の黄昏・・そして今(17)】
『お年はおいくつ位でした?』『そうですね〜、60歳前後でしょうか』『メガネなどは?』『かけてなかったようです』『大きな方でした?』『いえ普通だったです』。それ以外は特に変わった話を聞くことは出来なかった。保育園の男性も匿名希望の方の事を話すのは仕事柄出来ないのだろう。お礼を言って周さんが席を立ちました。隣の大きな部屋の中に沢山の縫いぐるみが置かれてありました。
『有り難うございました。ああ、最後にその方なにか持っておられませんでした?たとえばカバンとか』『そう言えばデイバッグを背負っておられたような、それにも可愛いマスコットが付いていました』『園長先生に宜しくお伝え下さい』。そう言って周さんは、山麓保育園を後にしたのです。
周さんを囲んでの『土曜競馬』からもう二週間の日が経過していた。金曜日の朝周さんは、携帯電話を掴んで庭に出た。赤や黄色の薔薇が良い香りを放って咲き出していた。『深沢です。お元気ですか?ああ、有り難うございます。ところで明日ご都合如何です?ちょっと皆様にご報告したい事があるのですが。そうですか、じゃあ、お昼に明石屋さんで、はい、宜しく』。山岡哲は早速、黄昏斑のメンバーに連絡を入れた。全員なんとか都合がつくようだった。明日の為にも、今日は島田巡査を是非訪ねてみようと思った。
季節はもう五月も半ばを過ぎて、サツキの花がそこかしこに咲き、夕陽丘5丁目の街路を飾っている。近くの中学校から、ブラスバンドの音が聞こえてくる。どことなく音がはずれているようで、それがまた面白い。半年前から手がけてきた、仏像彫刻がやっとの事仕上がったのである。座敷の床の間に安置し、じっと眺めてみた。我ながら心魂傾けて彫り進めてきただけに納得のいく出来映えであった。近い内に、病を養生している恩師に届けようと思った。とは言え、恩師の住まいは、四国愛媛県である。早速計画を立てて、奈良に住む息子に連絡をして、車の手配をせねばと思った。今回は妻も連れて行こう。彼女もお世話になった一人であったからである。
哲じいは今回の愛媛県訪問にもう一つの目的を持っていた。それは次の作品のためになんとしても良い木を手に入れる事であった。昔から仏師と言われる匠達は、まず木を得る事が一番重要なことであった。『禊木』(みそぎ)と呼び、この木を求めて彼らは日本国中を歩いていた。その『禊木』(みそぎ)とは一体どんな木であろうか。人間も何か大切な事を行う前に『斎戒沐浴』と言って、早朝に冷水をかぶって身を浄める『禊ぎ祓い』を実修する事がある。
それに似て、一差しの神木にも同じ事が言えるのであります。その目的の木が『落雷』を受けている事、それでいて割れていない事。こんな二律背反的な木が有るのでしょうか。まあ、それを探すのが仏師たちの仕事でもあります。哲じいもご多分に漏れず、そんな『禊木』を探していたのです。それは一世一代の『仕事』をする時のために、大切に保存しておくのです。それを恩師を訪問する際に、愛媛県でなんとか探し出して、購入したいと考えたのでした。