2015年1月29日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(25)】(標高 1066 m)


【男達の黄昏・・そして今(25)】

 誰かがその人物を見ていたとしても、きっとそれは植木屋職人の仕事の一環だと思った事でしょう。家を守っている大きな犬は前庭のゲージの中です。男はズタ袋の中から犬のぬいぐるみを一つ取り出しました。それをゲージの中に放り込んだのです。ウオ〜ン、と一声啼いただけでその黒いドーベルマンはその子犬を鼻で嗅いだり、舐めたりしていましたが、しまいにはそれを銜えて小屋の中に入ってしまったのです。その後はクスッとも啼きませんでした。



 男は裏口のカギを触っていましたが、気が付くとそこには男の影も形もありませんでした。地下足袋は全くと云って良いほど音を立てません。手は手術用のゴム手袋。まるで自分の手そのままの感覚で仕事ができるのです。ズタ袋に応接間にある宝飾品、腕時計などを無造作に放り込んだようです。そして今日のお目当ては、先生の奥さんが本場アメリカのデズニーランドより購入して来た白雪姫、七人の小人を袋に入れると口をしっかり締めてそれを肩にかけました。そしてまた裏口より出て再びカギをおろします。



 背を屈めて塀伝いに隣の塀まで小走りに移動、置いてあったはしごを登ってお隣の庭へ。そして塀の隅に凭れてタバコを一服吸っています。十分に周りを見渡して人通りが切れたその時、あっと云う間もなく道路に降り立っていました。その間、ものの2分ほどだったでしょうか。はしごを縮めて又来た道を、さも仕事が終わった植木屋の風体でゆっくりと下って行きます。そして3丁目の公園の生け垣の陰に止めてあった軽トラの荷台にそれらの荷物を積んでエンジンをかけました。



 誰にも見られる事なく、仕事は完全に終了したのです。バックミラーを見て何かが追って来ないかを確認しましたが、そこには車の影もありませんでした。夕陽丘1丁目の交差点を通り過ぎようとした時、一台の自転車と擦れ違いました。それは3丁目の交番所へ帰る途中の島田巡査でした。彼はその白い軽トラを何気なく見ましたが、特に普段と変わらない様子で擦れ違ったのでした。


 その頃、先生のお向かいにやってきたのは市村徳治郎、通称徳さん。今日は天気が良いので奥さんに変わって洗濯を済ませ普段より少しゆっくり目の時間に張り込みにやって来たのです。いつものように先生のお庭が見える定位置に座って、抜けるような6月の青空を眺めていました。彼はなにげなくドーベルマンのいるドッグゲージを見ました。その時、何かが変だ、なんとなくいつもと違う様子を感じたのです。始終怖い目をしてほっつき歩いている、黒いドーベルマンの姿が見えないのです。彼は少し塀に上って覗いて見ました。大きなその犬が何か小さな犬の縫いぐるみを抱かえて眠っているではありませんか。

 ヨダレを垂らして、まるで人間がお酒に酔っぱらっているかのようにです。彼は一瞬、『やられた!』と叫びました。すぐさま哲じいに連絡を入れました。15分ほどして島田巡査、宝沢市警察のパトカーが到着します。ただ何があったのかは未だ判りませんが、まず空き巣にやられている事が充分想像されます。黄昏班の面々も続々と集まって来ました。警察官がリチャード先生に電話を架けています。家に入る許可を貰っているようです。カギがないので塀を乗り越えて何人かが入り込みました。

 黄昏班のメンバーは全員外で待機しています。徳さんは何か責任を感じているようで頭を垂れています。入って行った警察官や島田巡査の話声が漏れ聞こえてきます。『犯行時間は9時半〜10時の間でしょう。』『犬が完全に眠らされているな。』『裏戸口のカギをはずして侵入し、又錠前を掛けて帰っている。』『この絨毯の上に微かに歩いた足跡がある。』『これは地下足袋だな。』最近は職業柄地下足袋を履く人はいても、普段はまずだれも履かない。この男は鳶職人ではないだろうか? 島田巡査はそんな事を考えながら現場確認をしていました。

 周さんは、大きなドーベルマンがよだれを垂らして寝てしまっているのにショックを感じています。そばに転がっている犬の縫いぐるみに何かの仕掛けがあるのではないかと思っていました。警察もその縫いぐるみを調べる為に回収しています。

 ちょうどその頃リチャード先生が帰って来ました。家の中で警察の人から色々聞かれているようです。そんなに大切な物は置いていなかったようで、過去の被害宅ほどには高価な物を盗られてはいませんでした。その時奥さんのキャサリンさんから電話が架かってきました。先生が英語で話しています。その時奥さんがこんな事を言ったようです。『シラユキヒメ ト ヒチニンノコビトハブジデスカ?』。先生が調べてみるとやはり無くなっていたのです。当然警察に被害の内訳に加えてもらったのは言うまでもありません。

 その頃下町の繁華街にある空き地に軽トラを止めた男は、ズタ袋を肩に掛けて路地の奥に入って行きます。周りに誰もいないことを確認して、急いで家に入りました。タタミの上にどっかと腰を下ろし、タバコに火を付けます。少し指先が震えているようです。そして傍らの一升瓶を引き寄せ、湯飲みに焼酎を注ぐと一気に飲み干します。『ウ〜ウッツ』と言う、うなり声とも嗚咽とも思えない声をあげて大きく一息付いたのでありました。

 ズタ袋の口を緩め、中から今日盗んできた品物を引きずり出しています。白雪姫と七人の小人の縫いぐるみ人形、腕時計、パールのネックレス、高級ブランドのライター、日本製の一眼レフのデジタルカメラなどを膝の前に並べて眺めています。なんとも言えない不敵な笑いを浮かべて、二杯目の焼酎に口を付けました。

 警察の聞き込みが数日間に渡って行われました。リチャード先生の家に入った空き巣の目撃者はただ一人の老人を除いて、誰もそれらしき姿を見ていないのであります。ただ一人の老人、その人は83才の男性ですがこんな話をしました。それは、彼が病院へ行く途中の事でありました。一人の男が袋を担いで坂道を上がって来ました。はしごのような物を持っていたと証言しています。擦れ違って少し下ったところで後ろを振り返りましたが、もうそこには誰もいなかったのです。その人は植木職人のような格好だったと話しました。

 先生の家を正面から入るとすると、結構人通りがあるので誰かに見られるのは覚悟しなければならない。そうなると裏から入る事になるが、それは隣の裏と接していて無理であります。ただ一つ考えられる事は、隣にまず侵入してそこから先生の家に入る事は出来ます。しかしお隣が在宅の場合はまず不可能に近いでしょう。警察の調べでは、当日お隣は朝の9時から10時頃まで家を留守にしていたとの事でありました。急な用件が出来て、1丁目まで出掛けていたとの事でありました。奥さんが出て行くのをその男が見ていたのでしょうか。それにしては余りにもタイミングが良すぎる話であります。

 捜査は続けられていましたが、まだ犯人の絞り込みが出来ていなかったのです。周さんが追っている男、沼ちゃんが尾行して行った怪しげな人物。リチャード先生宅を荒らした植木職人風の男。それらは果たして同一人物なのでしょうか?

2015年1月28日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ちょいと一服(標高 1065 m)


【洋菓子の 香り漂ふ 冬灯】「冬灯=ふゆともし」

  毎日、数回の雪かきをしていますが、家内が作ってくれた「ガトーモカ」とコーヒーの香りで疲れが吹き飛びました。家の灯りも雪の中でかすんで見えています。


(写真とケーキ作りはBy Akiyo)

2015年1月26日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(24)】(標高 1064 m)


【男達の黄昏・・そして今(24)】

 『ああ、深沢です、先ほどはどうも。鶴さん、ちょっと聞きたいことがありますのや』『へい、なんだんねん。』『我々の集まりの件やが、これ警察は知っていますのか?』
『そらご存知です。必ず島田はんに事前連絡入れておま。前から頼まれてまんね』。
周さんはこれで納得出来ました。鶴さんに礼を言って電話を切りました。天宮真智子さんは、間違いなく本職の警察官であることを確信したのです。それで辻褄が合います。彼女の的を得た判断、質問、そして我々をうまく操る手法。ある意味では心強い思いがしたものです。でもこれは未だ推測の域を出ません。一度市警察を訪ねてみようと思いました。



 上沼幸三が明石屋で状況説明をしていた頃、宝沢市東雲町の、とある一室では男がなにやら準備をしていました。デイバッグの中に色んな道具類を入れております。目の前には地図が広げられてあり、所々に赤丸が見えます。この家から少し離れた空き地に軽トラが止まっています。荷台にはシートが掛けられて、大工さんか、左官屋さんのトラックのようです。男が近づいてきて車の運転台や荷台に頭を入れて何かを調べているようです。それが終わったあと男は近所の酒屋に入り焼酎を一本下げて出てきました。そのまま角の煮売り屋に立ち寄り、ソラマメの塩ゆでと、花イワシを買って立ち去りました。



 男は路地の奥にまるでとけ込んでいくかのように歩いて行きます。建て付けの悪い引き戸を開けて荷物を下ろすと後ろ手に錠を掛けました。タタミがすり切れている上がりがまちの部屋に腰を下ろしたのがちょうど夕方の6時頃でした。外は雨が降り出したようです。台所の小さな流しから縁の欠けた皿を一つ取り出しソラマメや花イワシを盛りつけます。大振りの湯飲みに焼酎を注ぎポットからお湯を入れ、ひと吹きして啜り上げました。酒精が五臓六腑に染み通って行くのを感じて、じっと目を閉じて頭を垂れています。軒のトタン屋根を打つ雨の音が侘びしい男の一人所帯を一層寂しくしているようです。その夜、彼は3才でこの世を去った一人の男の子の事を思い出して、流れる涙を拭おうともせず、焼酎をまた流し込んだのでした。



 数日後、620日のことでした。梅雨空が続いておりましたが、やっと朝から梅雨の中休みの好天気。夕陽丘5丁目もいつになく朝から犬の散歩に出掛ける人、慌ただしく洗濯をして布団までもベランダや庭に干す家々などで結構忙しそうにしていました。黄昏班のメンバーも朝から奥さんの手伝いやら、湿った家に爽やかな風を入れたりで何となくバタバタしていました。その時刻、夕陽丘4丁目の公園の植え込みの陰に一台の軽トラックが止まりました。どこにでもある白い普通の軽トラでした。荷台にはホロが掛けられてあり、近くの家の庭の手入れに来ている植木屋の感じです。



 運転席から一人の男がゆっくりと降り立ちました。上下は作業服、肩からズタ袋を下げ、足には地下足袋をはいています。無精髭を生やして、頭にはタオルを巻いています。腰には植木鋏、そしてロープ、庭の木の手入れに必要な小道具の入った布袋がベルトを通して腰にぶら下がっています。手に持っているのは、ステンレス製の軽量はしごのようです。松の木などにもたせかけて、それに登って枝をはらう為の「はしご」なのでしょう。それは植木屋の必需品です。

 耳に半分吸い終わったタバコをちょこっと引っかけて、スタスタと歩いていきます。5丁目のとある番地の近くまで来た時、男はその周辺を素早く見て回りました。今日のターゲットは既に決まっています。敢えてその家を無視するかのように歩いています。途中で擦れ違う人は、きっと仕事場の家を訪ねる植木職人だと思った事でしょう。

 人通りが途絶えた午前9時半。ある家の側まで来ると彼はおもむろにそのステンレス製のはしごを伸ばして塀の下に置きました。タバコを一服付けて、周囲に目をやります。はしごを今度は塀に立てかけて身軽に上って行くのです。そして素早くはしごもろとも、中の庭に降り立ちました。そして一息ついて今度はその隣の家に身を躍らせて入り込んだのです。それははしごを一気に引き上げての行動でした。
その素早さはまるで軽業師のようでした。