【男達の黄昏・・そして今(18)】
さて土曜日の朝です。徳さんの家では久しぶりに奥さんの体調が良いとの事で夫婦で庭に出てガーデニングに精を出しています。おおきな牡丹が咲き出していました。奥さんが携帯で写真を写しています。横のテーブルには、紅茶が湯気を立ててレモンとともに置かれています。病院通いの日々から久しぶりに解放されて、暖かな日差しの下、安らかな時間が流れています。この幸せがいつまでも続くようにと市村徳治郎さんは、神仏に祈らずにはおれない朝でした。
リチャード先生のお宅でも朝から、ドーベルマンの散歩を済ませて先生ご夫妻がベランダで朝食の最中です。沢山の薔薇が咲き、蜜蜂や昆虫が飛び回っています。先生の開いておられる本はなんでしょうか?それは『奥の細道』でありました。また近い内に旅行に出掛けられるのかも知れません。最近の先生は大学で『俳句を英語で』という内容の授業をやっておられるとか。その為の勉強に芭蕉の『奥の細道』をお読みになっているようです。
沼ちゃんは魚釣りに行くのを返上して『明石屋』へ出向く用意をしています。奥さんは絵画教室の皆さんと、野外練習のため近くの薔薇園に出掛けて行きました。朝の内に今週の釣行の準備をして、スピニングリールなども分解して油を差しています。彼にとってはこんな時が一番楽しいようです。大体男というものは、ゴルフの好きな人はクラブを磨き上げる時間がプレー以上に楽しいと言います。カメラを趣味にしている人達も、写真を撮影する事以上に、お互いのカメラを見せ合う時に何とも言えない歓びを感じているようです。まあそこには自分のカメラに対する優越感を少しは感じているのでしょう。
全員が寿司処『明石屋』へ集まって来たのは、お昼を少し過ぎた頃でした。鶴さんが大きなすし桶の中に『にぎり寿司、押し寿司、巻き寿司、ちらし寿司』などを美しく並べてくれています。リチャード先生が、『デイス イズ アート!ビューテイフル!』と叫んでいます。まずビールで乾杯です。先生も含めての『黄昏斑』の土曜日ミーテイングは初めてでした。本題に入る前にまず食事、みんなでワイワイ言っている時、暖簾を分けて入って来たのは、あの土曜日の競馬を楽しんでいた時にみえた『タカラジェンヌ』さんでした。
『おじゃまします、今日は。』『この前はども』と周さん。『周先生、この前ご馳走様でした』とジェンヌさん。『さあ、どうぞこちらえ。紹介しましょう。こちらの紳士はリチャード・ラスパート先生。』『ハロー、コニチワ、リチャード・ラスパート デス』『グラッド トウ シー ユー、マイ ネイム イズ マチコ・アマミヤ』。どこかで聞いたような名前である。哲じいが『君の名は、やで』と、ぽつりと言った。鶴さんがお茶を運んできました。皆さんのお腹が膨れた頃、周さんが全体を見てこう言いました。
『今日は忙しいのにすみませんでした。いや先日来、例の件で私なりに動いておりまして、ちょっとご報告しておきたい事があって・・』『ご苦労様でした。アリガト、シューサン。』感謝の言葉が交わされています。周さんは、図書館でふと目にした市政ニュースの記事から、市役所、そして山麓保育園への訪問の件を一通り説明しました。静かに聞いていた黄昏斑の中から驚きの声が上がっています。
『善意の人を疑うという、あってはならない事をしているようで』と周さんが本音を言いました。その時カウンター越しに聞いていた鶴さんが『アッ』と驚いたような声をあげました。『ちょっと待ってくださいよ。今周さんの説明の中にその男性がデイバッグにマスコットが付いていたと言うのがありましたな?』『ああ、それは保育園の先生がそう言ってました』『あのね、あの、ええ〜っと。そうや、ええっと、あれは四月の初めころやったな』。その話し方は、ちょっと興奮したとき、彼には「どもる」癖があるらしいのです。
それは小学校へ出前に行った昼時のこと、雨が降っていての帰り道、坂道を下って行く時に見かけた、3丁目の東屋に座っていた一人の男。確か傍にデイバッグのようなものが置いてあった。それにもマスコットらしいものが付いていた。じっくり見たわけではないが、妙に印象に残った事をみんなに話したのです。『鶴さん、その男性、歳はいくつくらいやった』『す〜っと通り過ぎただけのこっちゃさかい、確かなことはよう判らんが、そんなに若くはなかったな』『保育園の先生は、中年で60歳前後、めがねなし、背も高くなく普通と言っていました』。と周さん。周さんと鶴さんが見聞きした男の風貌が、集まったメンバーには、何かを結びつけているような不思議な予感がした昼下がりの事でした。
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