2012年1月3日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高244m>

流一平氏北欧に飛ぶ

レイキャヴィーク発:2008.7.7 PM 9:00  Midnight-sun(白夜)


アイスランドに来て困ったと言おうか、驚いたことが一つあります。それは物価やタクシーを始めとする料金がものすごく高いという事でした。日本の東京並かひょっとするとそれ以上でしょうか。

ここの通貨は、アイスランドクローナです。為替レートは1クローナ=約1.4円(当時)です。夕食をホテルでとろうとして、注文したら8,600クローネの請求でした。ざっと12,000円ですか。特にどうって事のない料理でしたがね。

今夜のマドモアゼル吉岡はなんとも素敵なバッグを持っておられる。先程から気になって仕方がありません。『先生、今夜のバッグ素敵ですね。いつものとはまた違った・・・』。『一平さん、おわかりになる?嬉しい』。『でもそれって、なんだか伝統工芸のバッグのようですね、日本製でしょう?』。『そうよ、私のお友達でこのお仕事をしている方がいらっしゃってね、別註でお願いしていたのが先日出来上がったの、それで今日・・・』

その女性用バッグは、 (いんでん)といって、甲州、山梨県の誇る四百年の伝統を持つ貴重な文化財産だそうです。この名前の由来は、印度伝来を略して印伝となったと伝えられているのです。特徴は、柔らかくて強い鹿革に漆(ウルシ)で模様をつけていく、これが印伝技法のひとつだそうです。まずしっとり感と滑らかさ、そして強靭さを秘めた、これこそ『日本』を持っていると実感されるGoodsの一つだそうです。先生はフランスに生活されていて、多くのブランド物の超一流品は見たり、お持ちになったりしておられますが、そこはやはり日本人なのでしょう。

トラディショナル(伝統的)な逸品はしっかりとお持ちになられるようです。それにしても今テーブルの上にさりげなく置かれている「 」のバッグ、ウオーターカラー地に白色で細かいトンボの図柄。無数のトンボが乱舞している様を一つ一つ手描きで創り上げている。
そのバッグのまわりには、微かに日本の山々を駆け回っている野生の鹿の匂いがする。谷川の水音、木々の間をすり抜けて行く風の囁きすら聞こえてくるようです。

お隣のテーブルに腰掛けている老夫婦もそれを時々眺めてなにか話しています。細かい精巧な手仕事、匠の技に感じておられるようです。

今、夜の9時をまわりましたが、まだ空には明るさが残っています。先生と私は海岸縁のレストランに食事をとりに出かける事に致しました。

真っ白いパンタレオーネ、ネイビーシルクの風遭(かぜあい)のジャケット、そして水の上を乱舞するトンボたちをデザインした のバッグ。まるでタカラジェンヌが今レイキャヴィークに立っているような錯覚すら覚える今夜のマドモアゼル吉岡でありました。

『先生、明日のご予定は?』と私は海に話しかけるように先生に聞いてみました。それほど彼女はこの海浜レストランによくとけ込んでおられるのです。『一平さん、どこか連れて行って下さる?』『そりゃ、もちろん。どこがいいですか?』『せっかくのアイスランドじゃない、温泉がいいわ』。『温泉ですか、では海のような露天風呂は如何でしょうか?』『海のような・・か、行ってみたいわ』

『じゃあ、明日行ってみましょう。そこはブルーラグーンという温泉です。とっても広い、世界でも有数の大きな露天風呂とでも言いましょうか』。『それ、男女混浴です・・・か・・?』。『もちろんそうですよ、でもご心配には及びません。そこは水着を着て入る温泉ですよ』。マドモアゼル・吉岡は、にっこりとはにかむように笑ったのです。

先生は少しお酒が入って、目鼻立ちの整った顔に赤みがさしています。明日の時間を打ち合わせた二人は先程のホテル・レイキャヴィーク・セントラムに戻ってきていました。今夜はここが宿泊場所なのです。まだ外は少し残照が漂っています。明日の先生との温泉行が楽しみな流一平です。

2012年1月2日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高243m>

流一平氏北欧に飛ぶ

 ビールを一口飲んで、助教授は話し出した。ご一緒にじっくりと聞いてみましょうよ。


 『私のターゲット、クマムシはどこにでもいるのよ。このホテルのお庭にだってね。顕微鏡で覗いたら、まるで熊のようにズングリとした体つきなのでそう名付けられたの』

『ちょっと専門的に言うとね、ゆっくり歩くから、緩歩動物門という独立した門に分類されているの。足が8本あって、自分で脱皮しながら大きくなっていくのよ。もし気候が激変して乾燥状態になっても、体を丸めて“たる”のような姿になって、いつまでも眠るの』



ここまで聞いた私は、なにか狐に摘まれたような気がしていました。吉岡泊(よしおかとまり)先生にお会いするまで、そんな生物聞いた事もなかったからです。
『それからね、クマムシ君は乾燥状態では151°Cという高温や、反対にマイナス253°Cという低温にも耐えられるわ。そしてなんと6000気圧と言った生物が生きることさえ出来ない状況にも耐えられるらしいの。まあ全てのクマムシ君がそうだとはいいませんがね』

 ここに至っては、このクマムシ君はまさに宇宙生物以外の何物でもないと思えてきた。

『まだまだ研究が進めば、もっといろんな事が分かってくるはずよ。その時、人類はクマムシ君の環境順応能力についてすごい事を発見しているかもしれないと思うの。だからこうして私もその研究の虜になっているってわけ』


そう言ってマドモアゼル・吉岡は、ここレイキャヴィークのホテルにまるで今咲いたアイリスの花のように一際(ひときわ)輝いています。先程の老夫婦が微笑みながら私達を見ています。それにしても今回の先生のバッグが気になって仕方がない一平です。



(参考文献:林 卓人 平成15年夏休みの自由研究より。)



街角には日本では見られない花も並んでいます Imagined by Jun







2012年1月1日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・新年のご挨拶 <標高242m>


昨年の大災害にみまわれた方々は、新しい年を心底祝う気持にはなれないかも知れません。直接被害を受けていない人も日本全体のことを思うとき同悲の心が湧き上がってくるでしょう。今年こそ『互いにいたわりあい、悩める人を悲しみから救う』愛行の実践を第一目標にします。

【生長の家講習会】

講師:生長の家総裁    谷口雅宣

   生長の家白鳩会総裁 谷口純子

とき:平成24年6月10日(日)10:00〜15:00

会場:長岡市立劇場

問い合わせ:生長の家長岡教化部 
      〒940-0853 新潟県長岡市中沢3-364-1
            
      ℡ 0258-32-8388


2011年12月31日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高241m>


流一平氏北欧に飛ぶ

で、一体ここへ何しに来たのかって? それはもう少しお話しすればお判かり頂けると思いますので、ここではまだ内緒にしておきます。ところで庵主先輩、覚えておいでですか?
昨年、黒姫高原のホテル・アプルーゼでの事。ほらフランスはパリ、カルチェ・ラタンからやってこられた吉岡 泊(とまり)先生のことなのですが、ここアイスランドでお会いする事になっているのです。

あの時は「マロニエの木蔭から」というタイトルの記事でしたが、今回はさしずめ「オーロラ・夢物語」とでもしておきましょうか。今、マドモアゼル・吉岡をお待ち申し上げている流(ながれ)めにございます。ごめんなさい。

今はサマーシーズン、ホテル・レイキャヴィーク・セントラムのガーデンには庭焚が優しい風に心許なく揺れています。と言っても今回の目的は、吉岡先生に会うだけではありません。れっきとした仕事を遂行するのは言うまでもありません。

通りを挟んで小さなショッピング・モールが見えています。いましもそのお店から一人の女性が現れました。真っ白いパンタレオーネがとっても眩しい。ジャケットはネイビーシルクの風遭(かぜあい)のコラボ。

この女性こそ、わたくし、流一平の尊敬するセルボンニュ大学の助教授、T・吉岡先生その人であります。もうそこまでやってきました。今日は珍しいバッグを持っておられる。いつものセリーヌではありません。私は立ち上がって手を振ってしまいました。周りの老夫婦が怪訝な顔をして私を見ています。

『先生、こちらですよ!』と日本語でお呼びしました。さきほどの老夫婦が、その言葉を聞いて頷きあうのが横目に見えました。言葉の響きで、日本人だという事がわかったのでしょうか?『こんにちは一平さん、お久しぶり』そう言いながら白い手を差し出されました。私はまるで宝物にでも触るように、先生の手を軽く握ったのです。もうこれだけで、アイスランドに来た甲斐があったと思うほど・・・でした、これは本音です先輩。

先生は黒姫高原のお出会いの時にも話に出ましたが、「クマムシ」を研究なさっておいでなのです。聞くところによりますとそれはとても不思議な生き物だそうで、どこの家の庭のコケの中にも棲んでいる微生物だそうです。

でもこの小さな昆虫のような微生物が将来の人類を救う事になるかも知れないと言うのです。まあ、私にはなんの事か分かりませんが、先進国の学者先生が競って研究しているのだそうです。『そうそう、クマムシだったわね。この子はどこにでもいるの。でもその実態の殆どは霧の中』『どこにでも? 私の周りにもですか?』私はこの時、マドモアゼル吉岡がその美貌にかかわらず、この得体のしれない「クマムシ」とか言う微生物を研究しているとはどう考えても理解できなかった。

『一平!本当に見たいのですか?』『もちろん!』『顕微鏡はお持ちですか?』『虫眼鏡なら・・・』『それは駄目ね。だったら私の古いので良かったら使って』『やった!でもいいのですか?』まるで子供のようにはしゃぐ自分に年甲斐もなく不思議な感じがした。私は黒姫高原のホテル・アプルーゼの夜を思い出していました。あの時はマロニエの木陰があった。今日は大きなドイツトウヒの木がそれに代わって私達を迎えてくれていた。


マドモアゼル・吉岡にはこの街がお似合い Imagined by Jun





2011年12月30日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高240m>

流一平氏北欧に飛ぶ

ボクの古くからの飲み友達、流一平氏から久しぶりにメールが届きました。前回はモーリシャスのロドリゲス島よりのアグレッシブな便りと電話でしたが、今回はなんと北欧の漁業立国、アイスランドからであります。ボクなどこの国の名前を聞いただけで、氷に閉ざされた極寒の地しか思い浮かばないのですがね。何故一平氏は、アイスランドに飛んだのでありましょうか?

それでは皆さんとご一緒に見て参ることと致しましょう。

レイキャヴィーク発:2008.7.7 PM 7:35  Midnight-sun(白夜)

庵主先輩、ご無沙汰致しております。今私はここアイスランドの首都、レイキャヴィーク(Reykjavík)に来ています。覚えておいででしょうか? ほら今から22年まえ(当時)の事、東西サミットとして、レーガンとゴルバチョフ会談が行われたのがこのレイキャヴィークだったのです。

というのもこの場所こそ、ワシントンとモスクワのちょうど中間点にあったからなのです。それほどに国際政治と言いましょうか、国家間のパワーバランスというものは微妙なものですよね。

私は、2004年にオープンしたばかりのホテル・レイキャヴィーク・セントラムに滞在しています。この町は世界でも美しい港町のNo.5には入ると思います。このレイキャヴィークという名前の由来は、「煙たなびく湾」という意味なのです。

この国は日本に匹敵する、いやそれ以上に火山国なのです。到るところで火山が煙を上げ、間欠泉が空中高く蒸気を吹き上げます。それだけに温泉も多く、お風呂好きの日本人にはたまりませんよ。

だからこの町を最初に見た人たちは、その湯煙を「煙」と勘違いし、「煙たなびく湾」即ちレイキャヴィーク(Reykjavik)と呼んだのでした。日本でも「湯村町」とか「湯ノ花平」などと呼ばれている町や村があるのと同じですね。

さて私が今回、アイスランドを訪れたのにはそれなりの理由(わけ)があるのです。この国は一言で言うと氷と溶岩の上に出来ている国なのです。日本は火山国ですから、マグマの上に存在すると言っても過言ではありませんが、氷の上にはありませんよね。

さて庵主先輩、ここレイキャヴィークの人口はどれくらいだと思われますか?200811日現在ですが、117,898と発表されています。アイスランド共和国(Republic of Iceland)全体では31万人ほどしかいません。という事は、首都のレイキャヴィークに約40%の人が住んでいる勘定になるのですね。

日本の普通の市の人口くらいでしょう。このアイスランドと同じ人口数の市は、埼玉県越谷市319,508人。群馬県前橋市317,171人。沖縄県那覇市313,391。の三市だと思いますね。

国の大きさはどれくらいかと言いますと、10.3万平方キロメートルですから、日本の北海道よりやや大きいでしょうか。でも北海道に31万人が住んだとしたら、お隣さんは見えないのではないでしょうかね。

(明日に続きます)

2011年12月29日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高239m>

酒を愛した俳人、松尾芭蕉と宝井其角

さて前置きが長くなってしまいました。ここから今回のメインテーマ、「酒を愛した俳人、松尾芭蕉と宝井其角」のお話が始まるのです。


主人公、俳聖芭蕉はお酒は飲んだようですが、けっして酒豪ではありませんでした。酒も俳句をつくる素材の一つと考え自然体であったようです。その頃のお酒は「花に浮世酒白くして飯黒し」という濁酒(どぶろく)と玄米飯でした。

芭蕉の活躍していた元禄時代には、清酒は高級品で彼の収入ではとても手が届かなかったようです。ところがそのころの事でありました。ある裕福な町人のお弟子から、清酒の二升樽が贈られてきたのです。芭蕉は大喜びでこんな句を詠んでいます。

「月花もなくて酒のむひとりかな」といった調子で、この虎の子の清酒を、ちびりちびりと長い時間をかけて楽しんだそうです。そしてまたこのような句を作りました。
「飲みあけて花生けにせん二升樽」この空いた樽にまた新しい酒を詰めれば良い香りがするのですが、芭蕉にはそんな余裕とて無く、花生けにするという風流を句にのこすのです。

その頃の、芭蕉の弟子は酒のみが多く、中でも宝井其角(たからいきかく)は酒豪として知られておりました。彼の句に、「酒を妻つまを妾の花見かな」と、女房より酒を愛するほどの、手放しの酒大好き人間であったようで。
弟子を預かる芭蕉先生は、この大酒を心配され其角に節酒を促す手紙を書いたのでした。そしてその文末へ次の句をしたためます。

「朝顔に我は飯喰う男かな」と食らわしました。この意味は、わしはお前のように朝酒は飲まん・・・。この句意に其角は恐れ入ってしまったのです。その朝顔も終わる頃、ちょうど季節は仲秋の名月です。

その夜芭蕉は、其角らと大川を小舟で上下し月をめで、酒を酌んだがなかなか名句は出来ませんでした。家に帰ってもねむられぬまま庭でフト浮かんだのが次の句だったのです。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」

さすが俳聖といわれた芭蕉、フト浮かんだ句が360有余年経た今日までも輝きをはなっているのです。やはり深酒をしていてはこうはいかないのでありますな。




(これはまさしく自省の弁であります)




2011年12月28日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高238m>

酒を愛した俳人、松尾芭蕉と宝井其角

松尾芭蕉は、寛永21年というから西暦1644年今の三重県上野市、当時は伊賀国上野に生まれています。生涯を旅と伴にし、「奥の細道」「更科紀行」などの名作を遺しています。
松尾芭蕉は、東北の旅を続けて行く途中、松島から北上川に沿って北上、奥州藤原氏や源義経ゆかりの平泉を訪ねています。


ここでは、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」の名句を残し、その後南下して宮城県の鳴子から西に向かっています。芭蕉が「松島」と並ぶ名勝と褒め称えた「象潟」、その美しい景観はどうして出来たのでしょうか?

それは「象潟地震」と呼ばれる大地震が原因でした。芭蕉がここを訪れたのは、元禄二年六月頃です。西暦では1689年8月であり、「象潟地震」はそれから100年以上経って発生しています。

理科年表によりますと、文化元年六月四日(西暦1804年7月10日)です。マグニチュードM7.0であったようです。
「象潟地震」は5月頃より付近一帯で鳴動があったとの記録が残っているようです。当時の被害は壊れた家屋、5千以上、死者500名以上であります。そしてその地震の影響で、象潟湖が隆起して陸地や沼地になったのでした。

折角の美しい海や入り江が隆起して陸地になったのです。景勝地が無くなってしまったのですが、どっこい今もなかなかの観光地になっているのです。明治
21年7月15日、磐梯山の大噴火の時も湖がせき止められて今の裏磐梯高原の景勝地が出来上がった経緯もありました。

象潟ではこのような句を残しています。

「象潟や雨に西施がねぶの花」元禄二年六月十六日
雨のふっている象潟はまるで、中国の西湖のようだな。そして、ねむの花を見ていると、あの絶世の美女、西施(せいし)の事が偲ばれる。といった意味でしょうか。

(明日に続きます)