【酒を愛した俳人、松尾芭蕉と宝井其角】
松尾芭蕉は、寛永21年というから西暦1644年今の三重県上野市、当時は伊賀国上野に生まれています。生涯を旅と伴にし、「奥の細道」「更科紀行」などの名作を遺しています。
松尾芭蕉は、東北の旅を続けて行く途中、松島から北上川に沿って北上、奥州藤原氏や源義経ゆかりの平泉を訪ねています。
ここでは、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」の名句を残し、その後南下して宮城県の鳴子から西に向かっています。芭蕉が「松島」と並ぶ名勝と褒め称えた「象潟」、その美しい景観はどうして出来たのでしょうか?
それは「象潟地震」と呼ばれる大地震が原因でした。芭蕉がここを訪れたのは、元禄二年六月頃です。西暦では1689年8月であり、「象潟地震」はそれから100年以上経って発生しています。
理科年表によりますと、文化元年六月四日(西暦1804年7月10日)です。マグニチュードM7.0であったようです。
「象潟地震」は5月頃より付近一帯で鳴動があったとの記録が残っているようです。当時の被害は壊れた家屋、5千以上、死者500名以上であります。そしてその地震の影響で、象潟湖が隆起して陸地や沼地になったのでした。
折角の美しい海や入り江が隆起して陸地になったのです。景勝地が無くなってしまったのですが、どっこい今もなかなかの観光地になっているのです。明治
21年7月15日、磐梯山の大噴火の時も湖がせき止められて今の裏磐梯高原の景勝地が出来上がった経緯もありました。
象潟ではこのような句を残しています。
「象潟や雨に西施がねぶの花」元禄二年六月十六日
雨のふっている象潟はまるで、中国の西湖のようだな。そして、ねむの花を見ていると、あの絶世の美女、西施(せいし)の事が偲ばれる。といった意味でしょうか。
(明日に続きます)
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