日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 7 回
「雪國旅行心得帳」なる小能四點氏の文章を拝見する事に致しましょう。日本旅行協會「旅」昭和七年一月號より。
<北海道——感傷者には>
啄木の立待岬があり、トラピストの修道院あり、アカシアの花、少女の憧れのスズランあり、センチな人々にとっては将に寶庫の感がある。
冬の感傷的對象となると、また頗る異國的な題材が多い。街を走る橇これなどは冬の旅行者にとって唯一の好目標だ。
演奏旅行にやって來た、本居長世氏などは愛嬢を馬橇に乗せ、鈴の音を立てながら、餘り廣くもない市街を幾度も幾度も橇を往復さしたりしたものだ。
吹雪これは如何なる名音樂家も、吹雪のその音樂的階調には敵はんだろう。ストーブの暖かさと、情熱とにぽっと顔を上氣させ、二人は戀を語ってゐる。戸外にはまさに冬から春に入ろうとする、低いが非常に激しい物音、氷の割れる音が聞こえてくる。——と書き出して來ると何だかトルストイ翁の小説の一章を語ってゐるやうだ、斯くの如くトルストイの小説の如く、雪國の冬は詩的であるのだ。
北海道——寒がりには
外出には寒いが、室内生活はまるで南國の暮らしである、これが北海道、樺太の冬の生活を語る全部だ。旅行者にとっては、なまじい一流の旅館になど泊ると、お體裁のストーブなど設けられてゐるから寒い目に逢ふことがある。
中流以下の宿の方が冬の旅行者にとっては氣樂だ。だから宿でをさまってゐることよりも、さっさと外出して訪問先で温まることだ。雪國では來客の顔を見ると、座布團をすすめるより先にストーブに薪なり、石炭なりを投ずる、これが唯一の誠意ある接待法である。
帰ると言ひ出すと、それぢや一温りあたたまってお帰りなさいと、火を盛んに燃やすといふやり方で、火は親切の象徴だ。夜の寢床には湯タンポがあり、雪路には防寒靴があり、田園的な藁靴があり、吹雪襲來には目ばかり出た毛糸の出目帽があり、寒氣防衛には至れり盡くせりの感がある。
殊に冬に入る前、開けたてをしないやうな戸硝子や窓には、日本紙で目貼りをするのだと説明しては、成程室内は暖いだらうと讀者は納得してくれるだろう。
(庵主の一言)
たしかに厳冬期は、都会の生活より雪国の方が部屋の中に限って言えば暖かいように思える。薪ストーブは石油や電気ストーブにくらべると優しい暖かさ(日だまりの暖かさ)が得られるし、燃やす木によっては、とっても良い香りが漂うのも嬉しい事だ。お客が来られると、とっておきのどっしりとした広葉樹の薪を入れて暖まっていただくのも、誠意ある接待法であることは昔も今も変わらない。
(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます