2012年12月30日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・画廊・馬岩(バロック)<標高524m>

【怪獣 ゴジラ 参見!!】



S女史より宅急便が届いた 開けてみるとプチプチにくるまれた陶芸作品が入っていた その正体はなんとわれら少年時代の憧れ 怪獣・ゴジラであった



干支の「巳」も焼いて下さったが このゴジラは何よりのプレゼントでした テレビをつけた時またサプライズが!!

なんと元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手の引退会見が放映されている

彼の愛称が「ゴジラ」であったことと S女史のゴジラの作品に少なからず驚いたのだ
そんなこともあって 画廊「馬岩(バロック)」に展示し 思い出の作品としたい

(庵主の日時計日記:嬉しくも楽しい日々)より

2012年12月27日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・陽はまた昇る <標高523m>


【特上の朝がやってきた!】






妙高山を覆っていた雪雲は離れて行った 特上の朝は まるで新刊書のページをめくる時の清新な香りを振りまきながらやってきた

人食い鮫の歯のような氷柱(ツララ)が生長して 今にも手が届くようになった 

『どうです旦那 氷柱をマドラーがわりにして ハイボールでもつくりましょうか? つまみはオニグルミでも割りましょう ええ 夏の日に腰痛を我慢して拾って来た地物ですよ』

(庵主の日時計日記:自然と私)より

2012年12月26日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ジャズパブ維摩 14 <標高522m>


神戸という街は兵庫県の県庁所在地であり、日本を代表する港町でもある。開港は横浜の方が少し早いが、明治の初期から諸外国の在外領事館や公館が置かれ、そこには外国人の居住者も数多くいた。日本で最初のゴルフコースが六甲山に造られたのも納得出来る事であった。

今も北野界隈には、当時の異人館が建ち並び、神戸の街を一層エキゾテックな雰囲気にしている。土曜日、日曜日などは観光バスを連ねて旅行者が訪れる。そして国内で最も歴史の古い有馬温泉に、今宵の旅装をとく人々も多い。

有馬温泉まで、神戸三宮から山麓トンネルを抜ければ30分ほどで到着するという利便性から、今も有馬温泉街は結構賑やかである。とは言え我々神戸人から言うと全てにおいて料金がワンランクもトーランクも上だと言うことである。それ相応のサービスや施設は整ってはいるが、いかがなものであろうか。

舞子浜が近くにある。ここは明石海峡大橋の付け根の部分にある閑静な海浜エリアである。毎日幾百艘という大型フエリや貨物船、漁船、モーターボート、時にはあの海の色にしっかり溶け込んでしまう、海上自衛隊の護衛艦なども航行する。とりわけ潮の流れの速い海峡である。

それだけに今まで船舶の事故も多い。私の親戚にも、明石から淡路島の岩屋間を結んでいた船に乗って事故に遭い、亡くなった人もいる。悲しい歴史を経てきた航海の難所でもある。

海峡は急流なだけに、魚は飛びっきり美味しい。明石の桜鯛、蛸、あなごなど身が引き締まって、ただ黙って『旨い!!』と言えるのである。明石海峡大橋に落ちかかる夕陽も素晴らしい。現代の橋脚建設の最高技術で建設された芸術的架け橋と真っ赤な夕陽の取り合わせは、最高のフォルムである。舞子ホテルからの眺望、これもまた何とも言えず美しい。

神戸のご紹介はこれくらいにしておきましょう。さて神戸の街にも早春の便りが届くようになった3月の初め、ちょっとした事件が起こったのです。

それはある暖かい日の夕方の事でした。もう3ヶ月ほど音沙汰のなかったあの「雪女」が、突然『維摩』に顔を出した事から始まったのです。

『その節はお世話に・・・』 と言いながらイブの夜に腰掛けた席に座りました。『お元気でしたか?』『はい、お陰様で』 そう言いながらもどことなく、目はうつろである。『今どちらに?』『はい宝塚におります』『じゃあお近くですね』と私。とぎれとぎれの会話が続く。

『でももう帰ろうかと思っているのです』『帰るって?どちらへ?』『気仙沼です』。私はここであの白マフラーの男が見せた一枚の写真と「雪女」が繋がったのを感じた。彼はこの「雪女」を確かに探していた。ひょっとしてそこには男女関係の縺れが隠されているのか?

追う男、追われて逃げる女。こんな構図はよくある話だ。この二人もそんな関係なのだろうか?私はそれとなく聞いてみた。『失礼ですが、どなたかを探しておいでですか?』 「雪女」は突然の質問に明らかに戸惑いの表情を見せた。やはりあの白マフラーの男と関係が有るのは確かであった。


 「雪女」は今住んでいるところが宝塚だと言った。確か庵主様もその辺りにお住まいと聞いた事がある。なにか不思議な感じがした。あの白マフラーの男が『気仙沼から来た』と言った時、庵主様も以前二年ほど『気仙沼』に住んだ事があると話されていた。いよいよ問題の糸は絡まり、縺れ、その先は霧に隠れて何も見えて来はしない。


2012年12月25日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・癒しの家へ <標高521m>

【妙高高原混声合唱団 クリスマスを歌う】
グループホーム 癒しの家「池の平」


1221日 妙高高原混声合唱団は、今年最後の演奏活動として、グループホーム癒しの家「池の平」でのクリスマス会に参加しました。華やかにクリスマスの飾りがしつらえられた暖かい部屋で、ホームの皆様や職員の方々が明るく迎えて下さいました。

賛美歌を歌い、愛唱歌に涙し、素晴らしい雰囲気のクリスマスのお祝い会でした。「見上げてごらん夜の星を」を歌う時、ホームの皆様が手話で盛り上げて下さいました。今年の夏頃から職員の方と一緒に練習をしてきたのだそうです。



私たちもその手話を真似ながら、来年こそ良い年でありますようにとの願いを込めて歌いました。雪に囲まれた施設の中で、暖かいお茶やお菓子を頂きながら、今年最後の合唱団の活動を終えました。皆様ほんとうに有り難うございました。


(庵主の日時計日記:歓びの日)より


2012年12月24日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・クリスマスイブ <標高520m>


【雪の坊やがあらわれた】


イブの朝は豪雪で明けました 今年も雪の坊やが ちょっぴり悲しそうな顔をして出て来てくれました
『泣かないでね 今すぐホット蜂蜜作ってあげるからさ』




イブの夜は 闇の中に雪の坊やがぼんやりと こちらを見ています周りの木がザワザワ ファルファルと囁いています
雪がやんだら ドイツトウヒの天辺に大きな星が見えて来ます まるでベツレヘムの空にあらわれた星のように・・・


2012年12月23日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・天皇誕生日に思う <標高519m>



【節折(よおり)】

天皇陛下のお身体のお祓いをする行事で、平安時代の村上天皇(在位946967)のころから行われている。
節(よ)は竹の茎の節と節との間をいい、篠竹で天皇陛下のお身体をお計りし、そのしるしのところで竹を折るので、節折の名称がある。

節折のとき、天皇陛下はお小直衣(このうし)をお召しになる。お小直衣とは、昔の宮中のふだん着に相当する装束である。

この行事は、六月三十日と十二月三十一日の午後二時から行われる。前段の「荒世(あらよ)の儀」と後段の「和世(にごよ)の儀」から成っており、「荒世」は禍悪を去るの意、「和世」は福善を進めるの意で、民間の節分の「鬼は外、福は内」に相当するものであろう。
天皇陛下のご心身にけがれなどあろうはずがないという考えもあるが、清いうえにもなお清くとの願いをこめて、陛下のご健康とご長寿を祈願する行事なのである。けがれとは気枯れの意で、肉体的な病気と精神的な不快をいう。緑濃き皇居内も大気汚染の度合は周辺地区と変わりないようで、陛下も毎日この空気をお吸いになり、都民と同じ水道の水をお飲みになっていることを思えば、この古式によったお祓いもいっそう大切なことに思われる。

(入江相政著:宮中歳時記より謹載)

2012年12月21日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・神は愛なり <標高518m>



雪の道をクリスマスの礼拝に出かける
(Imagined by Jun)

In the beginning there was no heaven and no earth and no darkness and no light and so God said, 'Let there be light,' and there was light.
 
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。



(創世記 天地の創造 1 1~3)










2012年12月20日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ジャズパブ維摩 13 <標高517m>


辰兄い主催の『初春維摩の会』も、 いつものメンバーが集まってそれは楽しい新年会でありました。ジャモウもこの日ばかりは、辰兄いを嫌うことなく、喉をゴロゴロ言わせながらも辰兄いに寄って行ったものでした。

じつは、このゴロゴロ、本当はジャモウの機嫌の悪い時のパフォーマンスである事は辰兄いは知らない。なものですから猫なで声であやしたりして・・・・。

一月も半ばになって、ここ神戸の地にもいよいよ本格的な寒波が押し寄せていました。そんなある日、午後から庵主様と疾風真麻さんが入ってきた。なにやら本のような物を持っている。どうやら去年から庵主様にお願いしていたハヤマさんのミュージカルの大筋の脚本が出来たらしい。

なんだか、大がかりな内容らしかった。二人の話をそれとなく聞いていて子供だましではないことは確かであった。昭和の初期の神戸を舞台にした恋物語らしい。外国航路の船員と、港神戸のカフエーの女給のお話とか。いやはや庵主様はまだお若い。今の今まで本当にお一人なんだろうか?

そんな日があって、一月も終わりに近づいていた。新在家甲六さんが神戸の新開地の寄席に出るとの事で、『維摩』の常連が応援に出かけていった。甲六さんなかなか良い噺をしたらしい。古典をしっかりと勉強しているのが、若手に似合わず立派だとの庵主様の後評でありました。いずれ一人前の噺家になる日も近いだろうとの神戸雀たちの評判でした。

自称「株式請負人」の浜ちゃんは、その後とんと姿を見せていない。そう言えば「雪女」の噂もきかなくなって久しい。我が店の御曹司、ジャモウは相も変わらず『ニート』状態である。

ネズミは今まで一匹も捕まえた事はない。ところが犬に対しては滅法強いのである。先日も少し暖かい日、勝手に外に出かけて行った。私が探しに出たとき向こうの辻から人間ほどもある、真っ黒いドーベルマンが散歩で煉瓦路に入って来た。

その時どこから現れたのか、ジャモウがヒョイと猛犬の鼻面に降り立った。どこか近くの屋根にでも登って昼寝でもしていたのだろう。突然目の前にロングヘアーモジャモジャのネコが飛び降りてきたのでその犬は後ずさりをした。

その後猛然とジャモウに向かって吠え始めた。飼い主はネコだとバカにしたように、けしかけている。その時ジャモウは地面を一蹴りするや一気にドーベルマンの背中に飛び乗ったのであった。びっくりしたのはその飼い主と、私の二人であった。

ドーベルマンは背中のネコを振り落とそうと必死に体をねじったり、立ったりするのだがジャモウはしっかり掴まってまるでロデオに乗ったカウボーイの様なものである。とうとう猛犬がじれて、鎮まった時を見計らって、ジャモウはさっと又元の大屋根に飛び移ったのである。

それはまるで、調教されたサーカスの演技のようであった。この話はこの後、『維摩』のお客さんの間で何かあると話題になった。ジャモウを見に通りがかりの初めての客が入ってくる事もあった。

だれが言ったのか、サーカスネコがいるとの噂が拡がりなんと二月には、地元の新聞社から取材に来る始末であった。ジャモウはその度に大好物のビーフジャーキーにありつけて、ジャロメ・ジャーキーナイス(ジャモウ語でジャーキー大好き)なんである。

二月の一番寒い季節、この『ジャズパブ維摩』は、ここら関西で言うニッパチの閑な月でありました。それだけに常連さんはゆっくりとジャズに耳を傾け、疲れた心と体を癒しておられたようで。