神戸という街は兵庫県の県庁所在地であり、日本を代表する港町でもある。開港は横浜の方が少し早いが、明治の初期から諸外国の在外領事館や公館が置かれ、そこには外国人の居住者も数多くいた。日本で最初のゴルフコースが六甲山に造られたのも納得出来る事であった。
今も北野界隈には、当時の異人館が建ち並び、神戸の街を一層エキゾテイックな雰囲気にしている。土曜日、日曜日などは観光バスを連ねて旅行者が訪れる。そして国内で最も歴史の古い有馬温泉に、今宵の旅装をとく人々も多い。
有馬温泉まで、神戸三宮から山麓トンネルを抜ければ30分ほどで到着するという利便性から、今も有馬温泉街は結構賑やかである。とは言え我々神戸人から言うと全てにおいて料金がワンランクもトウーランクも上だと言うことである。それ相応のサービスや施設は整ってはいるが、いかがなものであろうか。
舞子浜が近くにある。ここは明石海峡大橋の付け根の部分にある閑静な海浜エリアである。毎日幾百艘という大型フエリ−や貨物船、漁船、モーターボート、時にはあの海の色にしっかり溶け込んでしまう、海上自衛隊の護衛艦なども航行する。とりわけ潮の流れの速い海峡である。
それだけに今まで船舶の事故も多い。私の親戚にも、明石から淡路島の岩屋間を結んでいた船に乗って事故に遭い、亡くなった人もいる。悲しい歴史を経てきた航海の難所でもある。
海峡は急流なだけに、魚は飛びっきり美味しい。明石の桜鯛、蛸、あなごなど身が引き締まって、ただ黙って『旨い!!』と言えるのである。明石海峡大橋に落ちかかる夕陽も素晴らしい。現代の橋脚建設の最高技術で建設された芸術的架け橋と真っ赤な夕陽の取り合わせは、最高のフォルムである。舞子ホテルからの眺望、これもまた何とも言えず美しい。
神戸のご紹介はこれくらいにしておきましょう。さて神戸の街にも早春の便りが届くようになった3月の初め、ちょっとした事件が起こったのです。
それはある暖かい日の夕方の事でした。もう3ヶ月ほど音沙汰のなかったあの「雪女」が、突然『維摩』に顔を出した事から始まったのです。
『その節はお世話に・・・』
と言いながらイブの夜に腰掛けた席に座りました。『お元気でしたか?』『はい、お陰様で』 そう言いながらもどことなく、目はうつろである。『今どちらに?』『はい宝塚におります』『じゃあお近くですね』と私。とぎれとぎれの会話が続く。
『でももう帰ろうかと思っているのです』『帰るって?どちらへ?』『気仙沼です』。私はここであの白マフラーの男が見せた一枚の写真と「雪女」が繋がったのを感じた。彼はこの「雪女」を確かに探していた。ひょっとしてそこには男女関係の縺れが隠されているのか?
追う男、追われて逃げる女。こんな構図はよくある話だ。この二人もそんな関係なのだろうか?私はそれとなく聞いてみた。『失礼ですが、どなたかを探しておいでですか?』
「雪女」は突然の質問に明らかに戸惑いの表情を見せた。やはりあの白マフラーの男と関係が有るのは確かであった。
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