そして何日かの内に一通り常連さんへのご挨拶も済んで、お雪さんはなかなかの評判。二階の四畳半に仮住まい。私は誰が見ても、もはや『人畜無害』。まあ彼女の保護者の様な者。寝食は只、だがお手当などは一切なしとの条件で預かった訳である。その内に白マフラーの男が訪ねて来れば事は進展するはずであった。
三寒四温とはよく言ったもの。優しい暖かさが神戸の街を包み始めた春たけなわの候。誰が言い出したのか、三月のある暖かい日に『長屋の花見』をしようという事になった。食べ物、飲み物は各自、家にある物を持ち寄る事。行き先は、神戸の山の手、『修法が原』という事になったのです。
神戸の六甲山脈の奥に位置する『再度山公園』(ふたたびさん)の中にある、修法が原(しょうがはら)は海抜380mに位置している。JR元町駅から歩いて2時間程度はかかるだろう。そこには大きな池があります。ここは私たち小学生の頃の遠足コースでした。
再度山は、弘法大師が二度も登ったことで再度という名が付けられたと伝えられている。奥には明治の頃から神戸居留地に外国から移住され、異国の地で亡くなった外人の方々の墓地がある。四季を通じて美しい姿を見せる神戸市民の愛する憩いの場でもあります。
さて、平成18年3月26日(日)朝から『維摩』に集まって来たメンバーを紹介しておきましょう。今日の花見のリーダーは、なんと株屋の『浜ちゃん』。まるで本格的な山登りのスタイルでやってきた。大きな登山靴を履いて、リュックを背負っている。手にはマウンテンストック2本。まるで日本アルプスの夏山登山の様相であります。
次にやって来たのは、自称タカラジェンヌこと、『疾風真麻』さん。綺麗なショッキングピンクのスラックスにスニーカー。肩からお洒落なショルダー・バッグ。羽根のついた薄黄色のハンチング、そのままで舞台に立てそうな感じだ。
さてその次の御仁は『庵主様』、大きな四輪駆動車から降り立った。今日は萌葱色の作務衣である。なんと足元は、竜王地下足袋といった出で立ち。たしかに地下足袋ならそう疲れないだろう。まあいつも下駄か雪駄しか履かない庵主様。なかなかの選択である。
ただしその車は、先回りして再度山公園まで行って待機するとか。疲れた参加者を救う庵主様一流の思いやりである。
さて次にやってまいりましたのは、新在家甲六師匠。はき馴らしたジーンズ、これもしっかりとしたキャラバンシューズ。背中にはデイバッグ。頭にはチロリアンハットという完璧なファッション。大きな声で『どなたはんも、ご機嫌さん!』。
その後にヨタヨタ入って来たのは、三味線屋の辰兄い。なんとニッカボッカに昔のゲートル。こんな物が今の世に有ったのかと思うような代物。靴はアメゴムのズックグツ。手には風呂敷包みときたから、終戦直後の闇市の買い出しルックそのままだ。
とは言えなかなか凝っている出で立ち。決してバカには出来ない。さあ、如何にも長屋の花見の連中が集まって時は遅しと待ちかまえています。行く先は再度山公園、修法が原。弘法大師様にあやかってお遍路さんの気持ちで行きまひょか、ぼちぼち・・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿