私はジャモウなら雌猫に付いていくだろうと思った。春先のことでもある。猫族の恋の季節である。さあこうなると一体何処へ行ってしまったものやら全く探しようがない。それでも一時間半ほどみんなで探しただろうか。
あたりが薄暗くなって来た。取りあえず女性と庵主様は車で一足先に山を下りた。あと私、甲六師匠、辰兄い、浜ちゃんの4名は庵主様の車が戻って来るまでジャモウを探す事にした。
もう辺りが真っ暗になった頃、四輪駆動車が戻って来た。しかしジャモウはまだ見つかっていない。私は後ろ髪を引かれる思いでやむを得ず修法が原を後にした。涙が頬を伝う。猫でもずっと一緒にいるとそれは家族同然である。無性に悲しかった。しかしひょっとして、直接『維摩』に帰っているのではとの一縷の望みを持って帰路に付いたのであった。
夜の8時頃全員が『維摩』に帰り着いた。しかしジャモウの姿だけがそこには無かったのである。彼が迷い込んできた木枯らしの泣く夜以来、初めての出来事であった。今日はみんなお疲れの様子。後は私に任せてもらいたいと云って皆さんにはお帰り願った。
庵主様の肩ががっくりと落ちて、夜の煉瓦路を影法師となって歩いていた。それからはお雪さんと私の二人だけの夜。なんとも寂しくも哀しい『維摩』であった。
その日から一週間が過ぎた。その間もジャモウの行方は杳として知れなかった。その週の土曜日、常連が集まって情報交換が行われた。庵主様、辰兄い、甲六師匠、浜ちゃん、そしてお雪さん。
皆一様に、暗い感じで、いつものような陽気さがない。そんな時、疾風真麻さんこと、ハヤマさんが入ってきた。『皆さんこんばんわ』いつもの元気なその明るさに『維摩』の中にポッと光が点ったようだ。
『ちょっと、みんな!私ね、昨日北野の外人倶楽部の近くを通ったのよ、そう車でね』『どうしたの?』と私。『その時、猫のような生き物が歩いているのをみたの』『それ、ジャモウか?』と庵主様。
『車でしょ、す〜っと一瞬通り過ぎただけ。はっきりとは判らなかったの。でも毛がジャモウちゃんのようにモジャモジャしていた』『有り難う!それはひょっとしたらジャモウかもな』と私。
『それ一匹だけだったかい?』と庵主様。『そう言われてみれば、もう一匹の猫がいたかも・・・』『まず、それはジャモウじゃな』と庵主様。どうやら山から下りてきて、街中をさまよっている。ジャモウは余り外に出たがらなかったから、土地勘がない。北野界隈からここまでが帰れないんだ。とみんな思った。
『よし明日、捜索に行きましょう』。そう言ったのは三味線屋の辰兄いでありました。何かよからぬ事を考えているのでしょうか?
なんだかほっとした雰囲気が『維摩』に一気に流れました。私は『銀河高原ビール』を開けて、早速皆さんと『ジャモウ捜索隊』を結成したのです。
このお話のジャズ・パブ「維摩」は「維摩経」の中心人物である「維摩」と同じですね。お金持ちの在家さんで、十分修業ができていて「菩薩」とよばれる、もう、仏様なのですね。素晴らしい人物の一人ですね。
返信削除山下 様
返信削除こんばんは。コメント有り難う御座います。
下記の文章は、「ジャズパブ・維摩」の第一回目のトップに書いたものです。
『ジャズパブ 維摩』(ゆいま)と読みます。釈迦の弟子で、在家のままで悟りを得たと言われている『維摩居士』。その名前を付けた神戸の小さなジャズパブで繰り広げられる人間模様。涙あり、笑いあり、ちょっと怖いお話、それに男と女の色模様。どの様な展開になるかはボクにもわかりません。一週間に2回程度のアップです。全てフィクションです。それではどうかお楽しみ下さい。(平成19年秋)
たとえ出家せずとも、自ずから日々の修行と愛他行の実践によって、悟りの境地に至り菩薩の位に進む事が出来る実証ですね。まさにその世俗の中での人生のあり様こそ、『自然法爾のおきどころ』だと思います。