2014年1月7日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 839 m >



花一輪・恋の笹舟(三十八)

道諦・歩む・八正道・正思惟(しょうしゆい)


伊予の松山、永聖寺にて修行している慈恵はまだ五十歳になってはいないが、その風貌と風格は寺の将来を担うに十分であった。その慈恵が順心を慕ってくれている。ほんの一週間の滞在であったにも拘わらず、こんな小さな山里の寺の修行僧の順心をである。自分の方が年上ではあったが、その慈恵の博識とものの考え方の大きさはまさに「師」というに相応しい人物と思っている。

この丹波篠山の地に桜が咲き出した頃、下の村から一人の僧が山道を登って来るのが見えた。その大きな体と、堂々とした歩みはまるで仁王像のようにも見えた。長旅を続けていたのだろう。真っ黒に焼けた精悍な顔付、赤松を割ったような二の腕、山門で待つ順心に大きな手の平を振って到着の合図をくれた。



春の野で二人はしっかりと抱き合って、再会を確認し合った。そこには陽を背負ってきた汗と埃と男の匂いがした。足と口を漱いでまず最初に、慈恵は大日如来の前に坐した。野太い声で経をあげ始めた。その響きは朗々と春の野に出でて、谷を越え下の村まで届くかのようであった。



順心は慈恵という人間の大きさに今更ながら驚いていた。彼はいずれこの宗派を背負って立つ傑物として世間に認知されるであろうと。ふと境内を見ると、村の人々が集まっている。それは慈恵の誦す大日輪の蓮華蔵世界に、まるで吸い寄せられるかのような不思議な光景であった。かつて釈尊の世ではこの光景を「菩薩雲集(ぼさつうんしゅう)」と言ったのであった。




順心は慈恵を伴って、春真っ盛りの下の村を訪ねた。二人の歩く姿は、村人達にとって「行雲流水」そのままとうつっている。足跡に花が咲くとでも表現した方が良いのかも知れなかった。



家々の前では立ち止まり、有り難い経をとなえる。家人が顔をだして、心ばかりのお布施を包む。米を差し出す者もいた。慈恵はその都度、深く頭を垂れて謝意をあらわした。庭先の犬さえおとなしくなって地べたに伏せている。



やがて二人は紅葉谷を目指して歩いていく。順心は昨夜の内に春禰尼のことを慈恵に話しておいた。尼には慈恵がこの地を訪ねてくれたことを未だ話してはいなかった。尼にも是非会って欲しかった。ほとんど外の人と接する機会のない尼に、このような僧のいることを見ておいてほしかったのだ。そこには順心の持ち得ない人間の大きさと明るさがあった。

寂夢庵は今日もひっそりと静まっている。春禰尼は写経でもしているのであろう、春の風が庭の梅をゆらしている。庭に足を踏み入れてそっと中を窺う。障子が少しばかり開けられていて、尼の衣の裾が見えている。

『尼様、順心がまいりました。伊予の永聖寺の僧、慈恵師をお連れ致しております』と静かに述べた。暫くして障子が開けられる。尼は茶を点てているところだった。春の陽光の中で、鳥の声を聴きながら茶を点てる。その一茶事に、過去の忌まわしい記憶が一つずつ消し去られていくのを春禰尼は感じていた。

目の前に大きな仁王像かと思える僧が佇んでいる。その赤松を割ったような慈恵の腕を見て、尼は一瞬驚いたようであった。そっと畳に手を付き、二人に頭を下げた。『ようこそこのような草深い庵(いおり)をお訪ね下さいました。ちょうどお茶を点てていたところ、さあどうぞお上がり下さいませ』

春禰尼の声に空に鳴く草ひばりの声が重なって、紅葉谷には五蘊皆空の蓮華蔵世界が広がっていた。

★  ☆  ☆

【庵主よりの一言】

道諦・歩む・
八正道・正思惟(しょうしゆい)


正思惟とは、正しい心構えを持つ事です。では正思惟とはなんであろうか。出離(しゅつり)の思惟、無恚(むい)の思惟、無害の思惟、これが正思惟と言われます。煩悩を断ち、迷いの境地を離れ、自分がどのような立場にあっても、怒りの心を起こさず、生き物を害さない殺さない慈しみの思惟を持つ事です。

この気持ちが自分の中にしっかりと根付くためには、日々の生活に『経を読み・祈りを捧げ・人に愛の行いをする』この三正行の実践が大切であろうと思うのです。

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