2014年2月9日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 (標高 864 m)


花一輪・恋の笹舟(完)

それでなくても人けのない山奥の庵(いおり)である。松籟の泣くような音を聞いて、順心の胸の内には尼の苦しんでいる、声にはならない声を聴いた思いがした。杉の木のキジバトがデデポッポウ、デデポッポウと鳴く声もさらに心を重苦しくさせる。


『尼様、順心がまいりました。失礼致します』そう言って尼の伏せっている小さな部屋の襖に手を掛け、そっと襖を開けた。そこには春禰尼が寝床に起きあがってじっと合掌している姿があった。それは順心の声を聞いて、必死で起きたに違いなかった。

『春禰尼様、ご無理なさってはいけません。さあ、横におなり下さい』そう言って、順心はそっと肩に手を置いた。尼の肩は悲しくも痩せて、小さくなっていた。今年の春、順心が湯屋で抱いた尼の姿は、今はもうどこにもなかった。

縋(すが)るような目で順心を見て、尼は、はらはらと涙を流した。『いったいどうなさったのですか。こんなにおやつれになって・・・』『順心様、私はもう何も思い残すことはありません。み仏よりお預かりしたこの身、いよいよお返し致す時がまいりました』『なにを申されるのですか。まだ尼様にはご使命が・・・』『有り難うございます。されど自分の身は自分自身が一番よく分かっております。このままそっとお浄土に・・・』そう言って尼はただじっと合掌をして順心を拝んだ。

順心は膝を進めて、尼の小さな体を愛おしむように、腕の中に包み込んだ。そして頬を合わせあって般若経を唱え続けた。尼はその腕の中で満ち足りたような柔和な顔になって、深い眠りにおちていった。その姿は尼の命が順心の体の中に、まるで吸い込まれるようにして、この現象界を静かに離れていった一瞬であった。

春禰尼の生涯はこうして終わりを告げた。享年五十九歳の短い一生であった。順心が愛したただ一人の女性であった。また春禰尼が生まれて初めて心を許した、たった一人の男性でもあった。この愛のかたちは、み仏に仕える二人にとっては、危ういものであったかも知れなかった。しかしここに広がる自然の中で、おのずからそうなるべき宿命であったとも言える。

今順心はたった一人になってしまった。春禰尼という心の拠り所が永遠に失われてしまったのだ。

伊予の旅に出てから、もう一年以上が経過していた。来年の春には、春禰尼の故郷、三重県の伊勢に出立する準備をしている。尼の遺骨を持って、同行二人の旅に出るのだ。既に老院主を送り、何よりも大切だった春禰尼とも別れた。

順心は今、その哀しさを越えて、人間生き通しの命の実相を、ただひたすら心の眼(まなこ)でじっと観じながら、涙をふるって托鉢のため山門を後にした。順心六十二歳の初冬であった。

かつて尼からもらった結び文には

【朝まだき 紅葉の渓に 散る葉さへ 水に浮かびて 流れしものほ】としたためてある。

順心は机にむかって筆をとった。

【夕ざれの 風に押されて 行くわれに 雪降り掛かり つのる哀しみ】

そこには誰も知らない二人だけの心が残った。このあと順心がどのような生涯をおくったのかは定かではない。

☆  ☆  ☆

【庵主よりの一言】

ながきにわたってお読み下さり、心よりお礼申し上げます。この私も来春には、順心と春禰尼の足跡を辿る旅にでるつもりです。それではまたお会い致しましょう。ご機嫌宜しゅう、さようなら。

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