2012年7月8日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今朝のポエム <標高398m>


【雨の続く日は】

森の木々がため息をついた

乳色の霧が小枝にまとわりついて

そのフローは渦になったり

一筋の帯になったりして道に出てくる

こんな日は本を読むにはうってつけだ

『不思議の国のアリス』をひろげる

ロンドンからやって来たこの本

もうすぐオリンピックが始まるのも

霧が有名なのもロンドンの町だ

そんなことを考えながら

虫めがねを手にした


(庵主の日時計日記:自然と私より)





2012年7月7日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・思い出の阪急沿線 <標高397m>



長かった愛媛県での単身赴任生活から帰って来て阪急電車に乗った時、『やっと故郷にもどってきたんやな〜』との実感が湧いたものでした。「阪急電車」という小説が世に出て、映画化もされました。そんなある日ボクは「今津線」に乗って逆瀬川駅から西宮北口まで出かけました。

その日はちょうど7月7日で七夕だったのでしょうか、西宮北口駅周辺では七夕飾りが東口川の橋の上に揺れていました。あまりの暑さに缶ビールを買って、橋の欄干に座って一休みしたのを覚えています。黒い大きな鯉が悠然と泳いでいました。それはボクにとって至福の一瞬(ひととき)でした。街路樹ではクマゼミがまるで追い立てる様なせわしげな声で鳴いていました。『やっぱり阪急沿線は最高やな・・・』そう独り言を呟いて残ったビールを飲み干しました。

あの日からもう6年の月日が流れました。今年の七夕様は「妙高高原」の雨の中で迎えています。懐かしさに眼を閉じた時、そこでは西宮北口界隈の進学塾に通う子供たちの声が聞こえてくる様な気がしました。

(庵主の日時計日記:思い出の阪急沿線より)

2012年7月6日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高396m>



【バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)】第2回

日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」


ここで、この日本旅行協会「旅」誌の編集長だと思うが、佐藤生氏の「年頭偶感」なる巻頭言を紐解いてみましょう。今から80年前の文章です。

昭和6年も(あわただ)しく暮れて、昭和7年を迎へることになった。何はさて置き、明けましてお目出度う御座います・・・・・と吉例の御挨拶を申し上げます。

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新しい年を迎えるといふことは、何かなしに、喜び度い氣持ちで、いっぱいになるものである。そして、お互いに、今年こそは・・・・といった氣持ちを抱くであろうと思ふ。商人なれば、不景気が何アんだの今年こそは・・・・であり、百姓なら、一反歩十俵の収穫をあげて見せるゾの今年こそは・・・・であるかもしれぬ。

と、同じことが旅行者にも言へよう。昨年は妙高、赤倉で滑らずにしまった。が、今年こそは・・・・であるかも知れぬ。

兎に角、年新なると共に、何かなし一つの希望を持つといふことは、決して惡からう筈はない。お正月を寝て暮らすも、ウィンター・スポーツを味って暮らすも、去りゆく日数に變わりはない。

とすれば、ナーニ寝正月だったヨ、といって挨拶をすることよりは、ほんの僅かな暇を見出して、それ相當のスキー場へでも出かけて雪と親しんでスキーを滑って来るなんぞは、気のきいた「愉快に正月を送る法」であると共に、尠(すく)なくとも、一張羅の羽織を失くしても、折(オリ)だけ大切に下げて帰る・・・・あの酔ひどれの錯覺は起こさずに濟むと思ふ。(佐藤生)

(庵主の一言)
ここで佐藤生氏が述べられている如く、暇を見つけて旅に出る。近郊でもよし、遠方・海外でもよし。生きている内にいろんな物を見て、楽しむ事も人生の大切な一面であると思う。なかなか蘊蓄(うんちく)のある文章ですね。




(庵主の思い出日記:時を戻して より) 続きます

2012年7月5日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・桑の実熟れる <標高395m>



桑の実・マルベリー (Mulberry)

むかしは蚕の食草として大切に栽培されてきました

現在国産の絹織物は価格が高く 中国製にとってかわられたため

桑の木はなすがままに大きく育ち この季節に実を結びます

木には本桑と山桑があって葉の切れ込み具合で見分けがつきます

どちらも実をつけますが 味の差はほとんど無いようです

熟れた実は赤黒く そのまま食べると舌の色が変わりますよ

でもとっても甘いから摘んでその場で口に入れます


桑の実ジャム ジュース 桑の実酒 

桑の葉茶や若葉の天ぷらも美味しいとの情報あり

早く摘まないと 虫たちや野鳥に持って行かれます

さあてと いまから桑の実摘みに出かけましょうか

赤とんぼの2番の歌詞を口ずさみながら・・・


【赤とんぼ】作詞:三木露風 作曲:山田耕筰

(1) 夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  負われて 見たのは
  いつの日か

(2) 山の畑の 桑の実を
  小かごに摘んだは
  まぼろしか

(3) 十五でねえやは 嫁に行き

  お里の 便りも
  絶え果てた

(4) 夕焼け小焼けの 赤とんぼ
  とまっているよ
  竿の先 

(庵主の日時計日記:自然と私より)


2012年7月4日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・妙高高原の生き物たち <標高394m>


【不可解なモグラの死】



梅雨に入って不可解な事が起こっています。それは「モグラの死」であります。今までモグラの被害にあったこともありましたが、モグラ自体の姿を見る事はありませんでした。夜行性で、まして土中を縄張りにしているのですから、なかなかその姿は見れませんでした。

ところが6月中旬以降に4匹、そして今朝も1匹の大きなモグラが道路で死んでいたのです。中には2匹が並ぶようにして息絶えていたのもいました。地面の下で何か異変が起こっているのかも知れません。モグラの生態を調べてみましたら、奴らはなにしろ大食漢との事。四六時中餌になるミミズなどを探してテリトリー(縄張り)を動き回っているらしいのです。

そして自分の胃袋の中に、12時間以上食べ物が入っていない空っぽ状態だと死に至るらしいのです。だから土中でのモグラ同士の食物争奪の争いは凄まじいものがあるのです。敗者は土中から追い出され、太陽のお照らしの下で死を迎えるのだそうです。

そうは言ってもこの広大な妙高高原、モグラの食べ物が無いはずもなく、何か別の要因があるように思えてならないのです。もう少し調べてみますが、「地震」の前兆現象?「地熱の変化?」「24年の豪雪」の後遺症?などが考えられますが、何事もなければ良いのですが。

(庵主の日時計日記:自然と私より)

2012年7月3日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高393m>


【バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)】第1回

日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」

私の机の上に今から80年前の旅行雑誌『旅』が置いてある。まさに無造作にと表現した方がいいのであります。昭和7年という年を遡って調べてみる前に、昭和6年がどんな年であったのでしょうか、そこから掘り起こしてみたいと思うのです。

いまから80年前のことです。西暦でいいますと1931年になります。私がこの世に誕生する、まだ15年も前のことなのです。年が明けた26日、チャールズ・チャップリンのサイレント(無声)映画、「街の灯」が公開されています。318日には初の国産飛行機が、中島飛行機工場で完成しています。

418日には、直良信夫が兵庫県で「明石原人」の寛骨を発見しています。今日も「明石原人」は皆の知る化石ですね。51日にはなんとアメリカ・ニューヨークに世界一の高さ(381m)のエンパイアステートビルが完成しています。

525日には国鉄、宮津線の網野—丹後木津間が開通しています。またこの年は大火の発生した特異な年でもあったようです。それがなんと5月に集中しているという、これ自体がまことに特異な事なのであります。

57日に、石川県山中温泉で大火災が発生し、800戸余りが焼失しています。その一週間後、515日には秋田県で発生し450戸を焼失。そしてなんと明くる16日、今度は中国地方の松江で大火が起こり、848戸が焼失しているのです。

さてそのような昭和6年が終わり、昭和7年(1932年)が明けました。雑誌「旅」の最初のページを飾る写真は、「雪の怪物」とのタイトルで、蔵王山の樹氷帯を行くスキーヤー4名。なにやら軍服のようなものを着ています。そして次のページには、初雪を歓ぶ奈良の鹿、廣島県安芸の宮島の雪景色と日本列島の厳冬期を象徴するかのような写真が並んでいます。

当時新潟県上越、新井からは妙高山の山麓に沿って田口駅(現妙高高原駅)がありました。1969年(昭和44年)信越本線電化にともない駅名も妙高高原駅と改名され今日に至っております。



(現在の信越線 妙高高原駅)

その田口周辺に昭和7年当時、田口大天上スキー場が妙高山の勇姿を背景に広がっています。それにしてもスキー客の少ないこと。大きなゲレンデにざっと計算しても40人ほどしかいないのです。さぞかし当時のスキーヤーは優雅な時間を共有したことでしょう。

(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます


2012年7月2日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今朝のイチオシ <標高392m>


雪の消えた妙高山



衣替えをした妙高山の山並み(12.6.30)

一年のうち7月〜10月まで4ヶ月の間そのままの姿を表します



5年ほど前に同じ場所で撮った山容

6月初め頃か 有明の月が残っています