2012年7月3日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高393m>


【バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)】第1回

日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」

私の机の上に今から80年前の旅行雑誌『旅』が置いてある。まさに無造作にと表現した方がいいのであります。昭和7年という年を遡って調べてみる前に、昭和6年がどんな年であったのでしょうか、そこから掘り起こしてみたいと思うのです。

いまから80年前のことです。西暦でいいますと1931年になります。私がこの世に誕生する、まだ15年も前のことなのです。年が明けた26日、チャールズ・チャップリンのサイレント(無声)映画、「街の灯」が公開されています。318日には初の国産飛行機が、中島飛行機工場で完成しています。

418日には、直良信夫が兵庫県で「明石原人」の寛骨を発見しています。今日も「明石原人」は皆の知る化石ですね。51日にはなんとアメリカ・ニューヨークに世界一の高さ(381m)のエンパイアステートビルが完成しています。

525日には国鉄、宮津線の網野—丹後木津間が開通しています。またこの年は大火の発生した特異な年でもあったようです。それがなんと5月に集中しているという、これ自体がまことに特異な事なのであります。

57日に、石川県山中温泉で大火災が発生し、800戸余りが焼失しています。その一週間後、515日には秋田県で発生し450戸を焼失。そしてなんと明くる16日、今度は中国地方の松江で大火が起こり、848戸が焼失しているのです。

さてそのような昭和6年が終わり、昭和7年(1932年)が明けました。雑誌「旅」の最初のページを飾る写真は、「雪の怪物」とのタイトルで、蔵王山の樹氷帯を行くスキーヤー4名。なにやら軍服のようなものを着ています。そして次のページには、初雪を歓ぶ奈良の鹿、廣島県安芸の宮島の雪景色と日本列島の厳冬期を象徴するかのような写真が並んでいます。

当時新潟県上越、新井からは妙高山の山麓に沿って田口駅(現妙高高原駅)がありました。1969年(昭和44年)信越本線電化にともない駅名も妙高高原駅と改名され今日に至っております。



(現在の信越線 妙高高原駅)

その田口周辺に昭和7年当時、田口大天上スキー場が妙高山の勇姿を背景に広がっています。それにしてもスキー客の少ないこと。大きなゲレンデにざっと計算しても40人ほどしかいないのです。さぞかし当時のスキーヤーは優雅な時間を共有したことでしょう。

(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます


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