気仙沼の空は抜けるように青く、それは遥か海の彼方までも続いているような素晴らしさだった。運転手の源さんは、手桶や柄杓、そして沢山のお供えの花を用意してホテルの玄関に車を停めて待っていた。
予めあきちゃんが、墓参の話を伝えてあったらしい。なにかと良く気の付く女性である。車は街中を過ぎて、坂道を登っていく。眼下には気仙沼の港が一望に大きく拡がっていく。
途中、坂の上で車が止まる。後は細い道を徒歩で登って行く。竹藪があって、水の流れる音がしている。しばらく進むと、結構開けた台地のような場所に着いた。ここが、庵主様が30年前に「しず」と「男の子」を埋葬した墓地であるが、人の気配はない。周りにはただ鳥の騒ぐ羽音と、竹林を吹き抜けていく風の音だけが支配している。庵主様の案内で墓石の前に立った。
ちょうどその時、少し離れた木の蔭から一人の老婆が姿を現した。庵主様が足早に近づいてその老婆の手を取った。なにか一言二言、言葉を交わしている。
頷き合いながら、「しず」の墓にやってきた。『紹介しておこう。お近くに住んでいる、山辺せん さんだ。私がこの地に墓石を建てて以来墓守をお願いしている方だ』そう言って庵主様は深々と礼をした。
命日、彼岸にはここに登ってきて、花や線香を手向け、墓周りの掃除もして下さっているらしい。今日も、小さな墓所ではあるが綺麗に掃除されており、植え込みにも鋏が入れられている。山茶花がいくつか花をつけている。
源さんが手桶に水を汲んできた。そして沢山の菊の花やりんどうなどが供えられた。線香に火が付けられ、竹林を抜けてくる風に乗って香しい薄けむりを漂わせては消えていく。その時、暁子がポケットから何かを取りだして墓石に近づいた。
それは小さなほ乳瓶に入ったミルクであった。いつの間にこんな物を用意したのだろう。その時、庵主様の目から涙が溢れ出した。山辺せんが庵主様の手を強く握ったのを暁子はじっと眺めていた。庵主様は懐から一枚の半紙のようなものを取りだして、開いていく。そこには『命名、仙太郎』と墨で書かれている。
死産した唯一人の息子に名前を付けて、せめてもの供養をしたかったのである。遥かに海の見える彼方から「しず」と「長男、仙太郎」が見つめてくれているかの様な気がして、庵主様は海に向かって瞑目、合掌をし頭を垂れた。
小半時ばかりいただろうか、一行は山辺せん に礼を言って山を下りた。車の中で庵主様は暁子に心から礼を言った。顔も見ず、声も聞くことが出来ずに旅立っていった、不憫な我が子「仙太郎」にミルクを手向けてくれた優しさに、胸が息苦しい程熱くなっていたのだ。
さて、まこっちゃんは12月に開店予定の、みちのく割烹「気仙沼」の仕入れ準備を昨日から精力的に続けていた。魚介類、干物、野菜そして酒なども友人の計らいで既に目鼻が付いていた。
今夜の食事は、彼の古くからの友人が経営する割烹「青葉」を予約してくれている。夕方6時もう陽が落ちて冷え込んで来た頃、一行は玄関の灯籠に灯(あかり)の入った「青葉」の暖簾をくぐった。
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