【俳人 種田山頭火の句碑】
秋の新潟県村上市を訪ねた時、ボクの心の師、種田山頭火の句碑に出会った。昭和11年6月9日、山頭火が飯野桜ヶ丘の浅見詢二宅で句会を開いた際に提出した句とある。
『水音がねむらせない おもひでが それから それへ』。ボクが山頭火に惚れ込んでいるのは、俳句の形にとらわれない『自由律』にある。「五七五」の定型も季語もそこには格別の存在としては見当たらない。しかし山頭火の人生観、自然観、もっと言えば宇宙観すらそこには存在する。この写真は托鉢僧の風貌をしている。村上の句会のあと新潟県長岡市を訪ねたときのものらしい。
いつぞや山頭火の終焉の地、松山市の「一草庵」を訪ねたことがあった。座敷に一升瓶がいくつも転がっている、山頭火らしい「庵」であった。裏木戸に廻った所に、石の四角い井戸があった。山頭火の母フサが身を投げて亡くなった井戸(実際は山口県佐波郡の実家)に似ていたので、合掌して「甘露の法雨」を手向けたのを思い出した。山頭火は一草庵で開いた句会の最中にこの世を去っている。時に、昭和15年10月11日、享年59歳であった。
(庵主の日時計日記:文学の泉より)
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