【ザアカイという名の男】
ルカによる福音書 19章1〜10
現在のイスラエルとヨルダンの国境に跨るように、死海(Dead Sea)が南北に横たわっています。日本人の我々にとっては何か恐ろしい響きの感じられるネーミングであります。その死海の北の端に、エリコ(Jericho)という町があります。
この町の事について少し勉強しておきましょう。エリコは、死海に注ぐヨルダン川河口から北西約15キロにあります。海抜マイナス250mの低地にあるのです。『スルタンの泉』と呼ばれるオアシスがあります。『旧約聖書』にも繰り返し現れ、『棕櫚(しゅろ)の町』として知られていました。
紀元前1500年頃のエリコは周りに壁を備えた都市だったのです。過去に異民族の来襲を度々受けた事からその防御の目的で建設されたのです。
今日の『ザアカイという名の男』のお話しの舞台こそ、今を遡る事2,000年ほど前のエリコでの物語であります。新約聖書・ルカによる福音書19章1〜10を読みながら進めてまいりましょう。
今回の登場人物は、『イエスキリスト』と『徴税人ザアカイ』の二人であります。聖書にはこのように記されています。
『イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で金持ちであった。』19章1〜2。
イエスは当時色んな場所に自ら出向いて行かれ、悩める人々や貧しい人々に神の道(福音)を説いておられました。これはその伝道行脚の中の物語の一つであります。
さてこの“ザアカイ”という男の名前でありますが、私ども日本人の名前に置き換えると“義男さん”といった感じであります。彼が生まれた時、両親が願いを込めて『義を行える人になる様』にとの願いを込めて名付けたのでした。
いつの時代でも両親というものは、我が子が将来世のため人のためになる人間に生長する様にと、『正夫、良太、善一』などと言った意味の名を授けます。この“ザアカイ”の親も子を思う優しい人であったのです。
さてところがであります。彼は生長して『徴税人』となってその結果お金持ちになっていました。当時のエリコでは『徴税人』という職業は人々から余り良く思われない職業であったのです。いわゆる人々から税金を巻き上げる怪しい人達の集団の一人でありました。
彼が金持ちとなったのも、人々から余分に巻き上げたその差額をポケットに入れて私腹を肥やしていたのです。当時のローマの手先となって人々を苦しめている“異邦人”として、軽蔑されていたのでした。
続いて聖書には『イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群集に遮られて見ることができなかった。』19章3。と記されています。
“ザアカイ”はイエスを一目見たいと思って近づいて行ったのでしたが、背が低かったため見ることが出来なかったと言うのです。普通なら背の低い人がいたら、『どうぞ前の方に』と行って場所を譲ってくれるのですが、ここに彼が住人から嫌われていたため相手にされなかった様子が窺われるのです。
イエスは当時のユダヤ人社会にあって、周りから見捨てられた人達のところへ出掛けて行ったと伝えられています。
続いて聖書は『それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。』『ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』19章4〜5。
ここは非常に重要な描写であります。それは初対面であるにも関わらず、イエスから“ザアカイ”と呼びかけて下さったのであります。どうして私の名前をご存知なのだろうか? まして今日はぜひあなたの家に泊まりたいとまでも言われた。“ザアカイ”は驚きのあまり信じられない様子でありました。ここでイエスは、『あなたの家に泊まるのが私の義務である。』との意思を示されたのです。
指導下さった教会の牧師は、『神は全てを見通しておられる。名前も、居場所もすべて。』とお諭し下さいました。
明日に続きます。