連載小説 【あり地獄】9
メールを開く宇野の手が小刻みに震えている。夕食の時に飲んだ酒の酔いが残っていて少しは恐怖心が相殺されている。メールは、同僚の神和住 学からであった。その内容は、『警察が宇野のマンションの家宅捜査をした。そして封筒に入った現金を押収した。それはあのクラブで出会った男達の自白が発端になった。今では警察はお前を追っている。帰って来て本当の事を話すのだ』と言った内容が入力されていた。
一番恐れていた事が現実となった今、彼のなすべき事は二つしかない。一つは地元に帰って、真実を話すこと。その場合彼の政治生命はその場で断たれるだろう。そして長く鬱陶しい裁判が始まるはずだ。
もう一つは、このまま行き着く所まで行ってしまう。それが仮に最悪の状態を招いてもやむを得ない。自分には前者の状況に耐えられるパワーはもう残ってはいなかった。
今はただ、『迷ヶ平』へ何としても行き着く事が自分に課せられた運命のような気がしていた。今夜も睡眠薬を流し込んで目を閉じた。明日の朝は、4時に宿を出発すると女将に告げてある。支払いも夜の内に済ませてあった。
その頃、あの白いセダンの男達は、もう盛岡にはいなかった。彼らは既に宇野より先に秋田県に向かって走っている。宇野の車のナビが設定している十和田をキャッチしていた。それと昼間のパトロールカーの警官の動きが気になって、岩手県境を越えて来たのである。
離れの部屋の下を流れる水音を聞きながら、宇野は浅い睡眠に落ちていった。東北の晩秋は、朝晩の冷え込みは特にきつい。それも4時ともなれば尚更である。車のエンジンをかけるがやはり冷えている。パネルには外気は3度と表示されている。車内を暖め、ライトをあげて宿を後にした。
東北自動車道に乗り北へ向かう。盛岡から秋田と青森の県境に位置する十和田まで160キロの距離である。ゆっくり走っても2時間あれば到着するだろう。途中松尾八幡平で朝食をとる。トランクを開けて、ゴルフに行く時いつも持参している厚手の雨具をはおった。
着の身着のままの姿では東北の気候は余りにも冷たすぎた。しかしその冷たさが彼の脳細胞を覚醒させてもくれる。今となっては追われる身である事を宇野自身は容認出来ていた。自分にはこれ以上失う物はもう何もなかったからである。
宇野はいよいよ魂の底からの呼びかけにこたえ、一路『迷ヶ平』を目指した。既に歯車は動き出していた。それはスパイラル形状の複雑さを秘めながら、音をたてて噛み合って行く。あの白いセダンの男達の蜘蛛の巣に吸い寄せられる蝶のようにであったのかも知れない。
『迷ヶ平』『十和利山』『カタカムナ』この不思議な連鎖が何を指し示しているというのか。そしてそこに顕れた見知らぬ一人の女性の正体とは?
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