日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 9 回
さて今回から新しい記事をご紹介致しましょう。とは申せ、昭和7年1月1日発行、日本旅行協會「旅」より、棟方銀嶺氏の「静かな奥伊豆温泉」なる一文をご紹介致します。
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奥伊豆の温泉めぐりに出かけた最初は、昭和二年の暮れから翌三年の正月にかけてであった。だから四年も前の事だ。その時は三島から駿豆鐵道で修善寺に出て、更に天城越えをして湯ヶ野、河内、蓮臺寺、下賀茂、更に峰温泉へ廻って再び修善寺に出たのであった。
第二回目は、東京灣汽船を利用して下田を訪ね、そこから奥伊豆の諸温泉を巡って帰ったことがある。奥伊豆諸温泉も近年は一般に知られて來た。そして船を利用してなり、自動車を利用してなり、兎に角にも不便な温泉のように思はれてゐたこれらの温泉場へ、東京方面からの浴客を南伊豆の温泉場に引きつけるまでになったことは各温泉場としては歡ぶべきことであらう。
東京から近いといふだけなら、熱海も箱根も或いは伊香保も在るのだが、その不便の温泉場へ、そして時間的に見ても、三時間や四時間では一寸困難な、それらの温泉場へ最近は足を向ける人が目立って來たといふその裏面には、何か依て來る原因がなければならないーーといふことになる。
勿論、奥伊豆は詩の國であり史の國であるには違ひない。黎明日本の温泉地下田が在り、吉田松陰の史蹟がある。そして唐人お吉の哀話が醸された情熱の國でもあるからには違ひないーーが、さうした歴史的懐古趣味も然りではあるが、奥伊豆の諸温泉はまだまだ俗化してゐないーーといふことが、一度でも温泉巡りをした人々には頷かれるのである。
或人は、最近の伊豆の温泉場はまるで都會の延長だ、何處に閑寂な氣分が味へえるかーーと憤慨をしてゐる人もある。が、恐らくはその言葉は口伊豆と稱へられてゐる。熱海、伊東、修善寺といった温泉場に向けられる言葉であらうと思ふ。
天城を越えた湯ヶ野にせよ、谷津にせよ、或は、蓮臺寺にせよ、まだまだ田舎の温泉場、山の湯としての圏内から一歩も出てゐないことを知る。それが又一つの大きな力として誇らねばならぬことなのである。
写真:Imagined by Jun
<庵主よりの一言>
奥伊豆はいまも昔も日本人の憧れの湯巡り、心身癒しの旅路であることには変わりはない。今から80年も前の紀行文からも、当時の伊豆の温泉場の状況が見て取れるのだ。では旅行者は旅先に何を求めているのだろうか?
そこには『非日常』そのものではありますまいか。自分が今住んでいる都会と同じものが旅先の景色や風情に充満していては、何の為の「心身癒し旅」なのだと言うことであろう。そのような気持ちで旅するなら、まだまだ日本には旅人に優しい『隠れ宿・隠し湯』などが残っている。地図を開き、時刻表を繰りながら計画を立てるのも旅の楽しさである。
(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます
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