日本旅行協会 『旅』二月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第 14回
日本旅行協會「旅」、昭和七年二月號より
「櫻海老とワカサギ」 二月から三月へ掛けての散策 近藤 飴ン坊
水戸へ花見に行ったら、湊、磯濱まで行樂を延長して春の海を眺めるのもいい、そこには鮮魚が諸君の味覺を満たして呉れる。東京で氷で保たしてある魚類に舌を胡麻化されてゐる者が、海から取り立てのピチピチと生きている魚に出會った時、サカナは美味いものだなと思ふ、而も鹽燒、煮肴、サシミ、價は廉。
土浦名産サクラ海老は驛賣が持ってゐる。霞ヶ浦の小海老を、贅澤にアタマも尾も脚もむしり捨てて本當の眞中の正味の肉だけを茹でて乾したのだから價も廉くないが酒のサカナに佳し、殊にビールのサカナとしては最上品。サクラ海老とは乾し上げたカタチが櫻の花に似て其の色が櫻色だからである。
土浦では此のほかにワカサギが名産、これは新年が近くなると東京で賣出すが正月の膳に無くてはならぬ物の一つになってゐる。此のワカサギ屋が土浦の町には何とまあ多いことよ。驛前から一直線に行くと頓て鼻は芳い匂ひにぶつかる、誰でもさうかとうなずく。
飯能の土地料理
川越へ出ないものは飯能へ出てもよからう、天覽山にはポツポツ梅が咲いてゐる、見晴し臺から見ると、視線内の村々を梅の花が白く點綴(てんてい)してゐるその向ふに富士が見える、大菩薩峠が見える。
山を下った所に料理旅館東雲亭(しののめてい)がある、默ってゐれば椀、燒、さしみに吸物の東京式だが命じれば土地料理を提供してくれる。自然薯が土地の名物だが、これは驛前で賣ってゐる。狭山の銘茶も家包(いえづと)にいい。
久慈の梅から鯰料理へ
久慈の梅林は古木で有名。玉川電鐵に拠るもよし、南武鐵道に拠るもいい。名物を持ってゐないが、南武鐵道の客となれば義士の遺跡もあるし、多摩川の春光もいい、登戸(のぼりど)には古い料理屋があって鯰(なまづ)を名物にしてゐる。
あれから小田急も利用出来るし、府中へ出て大國魂神社に參詣、京王電車で新宿へ出ればここにはお好きな名物が何でもある。鮨、天ぷら、鰻飯、支那蕎麥、牛鳥肉と並べただけでゲンナリするのに近代風カフエーがあり、附近は、小料理とおでん屋が軒をならべてゐる。
<庵主からのひとこと>
登戸は多摩川と多摩丘陵を背景に自然に恵まれた地形で、かつては旅人が宿場として利用していた由来と歴史をもつ地域です。
天保元年(1830年)創業、変わらぬ味の登戸の料亭『柏屋』は、今も伝統の川魚料理を承けついでいます。俳人巌谷小波も昭和の初めに句会のため柏屋に立寄り、『小春日や日本一の腹加減』という句を詠んでおり、今でも句碑として残っています。
1932年(昭和7年)頃、飯田九一により描かれた画には大きな鯰(ナマズ)が描かれてあり、そこに巌谷小波が即興で「小春日や」の俳句を書き残したとの事です。この柏屋を訪れた巌谷小波も鯰料理を楽しんだ様子が窺い知れるのです。現在「鯰料理」がメニュウに入っているかどうかは定かではありません。
(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます
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