【男達の黄昏・・そして今(29)】
『それはもう35年ほど前の事ですが、ある台風が関西地方を襲ったのです。数日来大雨が降り続いて、その三日目の朝にあの裏山が崩れたのです。』『今はコンクリートで井桁状に補強してある所ですね。』『そうです、そしてその土砂がこの保育園を襲ったのです。』『その時、被害者が出たのですか?』『その資料によりますと、残念ながら3人が亡くなっています。』『園児もですか?』『保母さんと園児が二人その犠牲になりました』。そう言って谷水洋次は頭を垂れた。
それは谷水が生まれてまだ数年しか経っていない頃の出来事だった。その時の被害者の名前は判っていますが、これはお教え出来ません。と谷水は言った。深沢周八は、図書館に行って新聞記事のアーカイブを調べれば判ると思った。『深沢さん、今度腹話術の男性がここに来るのは今年のクリスマスですよ。』『と言いますと?』『先日の腹話術をしてくれた日、彼が帰り際に園長の紺野にそう言っているのを聞いています。』
周八は今年のクリスマスの日に今回の全ての問題が解決するだろうと思った。その日までに自分に何が出来るのだろうか? この男の人生にとって、山麓保育園は哀しくも愛おしい、無念の思いが詰まった施設なのではないかと思った。今から35年前の風水害の記録を探すため、明日にでも市立図書館に行かねばなりません。しかしその前に『黄昏班』のメンバーに今回の行動について報告しようと思っていました。『明石屋』にメンバーが集まってきました。久しぶりの集合とあってみんなの顔がなんとなく輝いています。一時の緊張感が緩んでしまい、少なからず気持ちがウズウズしていた様です。ハイタッチの挨拶をしている沼ちゃんと徳さん。鶴さんも今日は懐かしい「祭り寿司」を作っていました。明石名物、浜の「祭り寿司」。とっても綺麗な色とりどりのちらし寿司なのです。
コノシロ(こはだ)の酢〆、新鮮な鳥貝、明石の生蛸の薄造り、金糸玉子、色つきレンコン、木の芽などが飾り付けられていやが上にも食欲をそそります。リチャ−ド先生はまずデジカメを取りだして、色んな角度から写しています。彼は日本の各地へ旅行に行った時も、和食の写真を残しているそうです。いずれそれらを写真集として纏めたいと思っているのです。鶴さんとっておきの一品、「祭り寿司」を食べながら、深沢周八は話し始めました。彼が下町の朝のラジオ体操の現場に出掛けた事。そして、「その男」と出会って写真も撮してきた事。「ふうちゃん」と彼が呼んでいた男の子のことなど。天宮真智子らしい女性を見かけた事なども、そのままみんなに報告したのです。その後再び「山麓保育園」を訪ね、ある事実を知り「その男」と園が繋がった事などでありました。
『ところで周さん、貴方のお話の中でその男がもうここ夕陽丘5丁目には現れないだろうと言う推理があるが、これはいったい・・・』と哲じいが聞いてきました。じっと考え込んでいた周さんがおもむろに口を開きました。『これはあくまで私の勘なのですが、このように考えてみたのです。』それからの周さんの推理を聞いていた黄昏班のメンバーは、彼のその説明に『推理の周』の片鱗をみた思いでした。『むかし原始キリスト教の人々の間ではある習慣があったそうです。それは自分の胸に“X”の文字のペンダントをするという事です。十字架ではありません。いわゆるバッテンの”X”なんです。』『クロスじゃないのですか?』と沼ちゃんが念を押します。
『ええ、彼らにとっては”X”こそ贖罪の喪章だったのです。日本人が良く言う“帳消し”の印、それが”X”だったのです。あの男がそれを知っていたかどうかは私には判りませんが、丁度リチャード先生のお宅が”X”の文字の中心に当たりましたね。』『それでこの家がその男の仕事の最後。全てをご破算にする帳消しの一点だった・・・?』と哲じい。全員腕組みをしたり、頭に手を置いたり、考え込んでいるようです。
『彼は今回をもってこの仕事から足を洗う、贖罪の決意をしたのかも知れませんね。先日のあの男の顔は“優しかった”。悪事をはたらく男のそれでは無かった。』周さんは確信を持ってそう話しました。深沢周八は続けてこう言いました。『皆さん今回の一連の空き巣事件は今年のクリスマスイブの日、山麓保育園で全てが終わります。そうです、ある贖罪が証として目の前に顕されます。』なんだかオカルトの世界に入って行くような気がして黄昏班のメンバーは寒気がしたと言います。
その会合が終わって数日が経った頃、深沢周八は市立図書館に来ていました。あの山麓保育園で起こった35年前の土砂崩れについて調べてみたかったからです。新聞の縮小版の昭和47年のぶ厚い本を取り出して、9月のページを開きました。手持ちの10倍率のニコン製のルーペを左手に持って活字を追って行きます。その記事は9月13日に載っています。『台風○○号の大雨、裏山の土砂崩れ保育園を襲う。』その記事には保母さんと二人の園児が生き埋めになり救助されたが病院で死亡が確認されたとあった。子供は4才の女児と3才の男の子の二人だったのです。
男児の父親の名は、小田村敏夫(おだむらとしお)年齢27才。小田村真一ちゃんと載っていた。その記事を見つけた時、深沢周八はルーペを机に置いて合掌したのであった。あの『川上ノボル』と名乗った男の本名は、小田村敏夫であった。やはり彼には3才になる男の子がいた。なんらかの事情で「山麓保育園」に預けたのであったが、その一人息子の命を裏山の土砂崩れが奪い去ってしまった。彼の年齢は27才、まさに働き盛りである。長男を預けながら毎日必死の思いで汗水流したのだろう。いつの頃から小田村の人生は狂ってしまったのだろうか。愛する子供が災害の被害者となって、働く意欲も失ってしまったのかも知れない。
酒に溺れ、バクチに身を落としそして空き巣や泥棒といった悪の道にはまり込んでしまったと言うのだろうか? しかし彼は愛息の死を、薄倖の子供達への愛と言う形で償おうと考えたのではなかったか?それは決して正しい選択ではなかった。何故ならば空き巣をはたらく傍らその盗んだ縫いぐるみやオモチャを施設の子供達に寄贈する。加えて彼は腹話術を学び、子供達にその話芸でもってボランテイアー活動を始めたのであった。それは偽りの慈善活動であった。今年もこの山麓保育園を訪ねている。その時、次回はクリスマスにまいりますと紺野園長に伝えていたと言う。深沢周八は、「川上ノボル」こと、小田村敏夫の心の中が見て取れるのでありました。
夕陽丘5丁目には、平穏な日々が流れています。黄昏班の仲間も相も変わらず「明石屋」に寄り集まっては、土曜競馬やサンデー競馬に興じています。深沢周八もいよいよ勘が冴えわたって、「穴馬券」をゲットして彼のファンに喜ばれているようです。哲じいは、なにかこわい顔をした仏像を彫っているようです。それは「不動明王」だとの事です。火を背負って、剣を持って、恐ろしい形相で邪悪を祓っています。そのお顔の中に、真の優しさが見てとれるのです。徳さんは、奥さんの心臓の調子を懸念しつつも近くの公園に夫婦で散歩に出掛けたりの毎日です。その二人の後ろ姿に『熟年夫婦』の素敵な風景が見る者の心を安らかにしてくれる様です。
上沼幸三は奥さんを連れて、日本海の香住海岸へ魚釣りに出掛けました。近い将来掛け替えられる、あの餘部鉄橋を一目見ておこうと思ったのも香住海岸を選んだ理由のようです。釣果は如何だったのでしょうか?リチャード・ラスパートさんキャサリンさん夫妻も、『体験お遍路』の旅に出掛けたようです。仕事の関係で夏休みの一ヶ月間だけを使って、四国八十八箇所を回る計画です。足摺岬から室戸岬までの『歩き遍路』だそうです。彼らの歩く道々で出会うお遍路さんも『青い目のお遍路さん』に少なからず驚き、感動する事でしょう。お寿司屋の鶴さんも、お盆には奥さんの郷里、和歌山を訪ねる計画を立てています。新婚当時二人で一週間滞在した家を訪ねるようです。その頃の新婚旅行は、ご先祖のお墓に結婚の報告を兼ねて旅をしたものでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿