2015年2月27日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(32)】(標高 1080 m)


【男達の黄昏・・そして今(32)】

 『先生、今日お伺いしたのはちょっとお知恵を拝借したいと思って・・・』『この私の智慧じゃと。もう耄碌(もうろく)しておって昔の事などなにも覚えてもおらんわ。ファフ、ファフファ』と笑った。『来年の市会議員選挙の事なんですが。』と山岡は切り出した。『市会議員? ああもう来年がそうなのか? そんな事すら覚えておらんわ。』と言う老人の目が一瞬キラッと光ったのを山岡哲は見逃さなかった。



 『先生にご相談と言いますのは、市会議員選挙に出よ思てますねん。それで・・。』『ああ、あんた山岡はんが出はんのですか?』『そやないんですけど、私どもの仲間の男をと考えてます。』『それで、市会議員にはまたどうして』。と片槙が大きな目を見開いて言った。山岡は今まで黄昏班が行ってきた事を説明した。空き巣犯人を突き止める件も、子供達に自然の水辺を確保する運動。そして団塊の世代の第二の人生を少しでもサポートするサークル創りなどをである。



 じっと聞いていた片槙京弥は庭の緑を見ていた目を山岡に戻してこう言った。
『山岡はんも知っての通り、ここ宝沢は田舎半分、賑やかな町半分といった面白い市じゃ。保守的でもあり、それでいて結構革新的でもある。なにせ難しい所じゃ』。
そう言われてみれば、ここ宝沢は結構奥が深い。中心街から数キロ走ると田園地帯が広がり、その奥には大きな水源地がありその周辺は独特の農業やら酪農を営む人々が生活する地域が広がっている。
山岡はそのエリアこそこれからの宝沢市の発展の要、切り札になるのではと考えている。都会部にはない安らぎと癒しの地域、まさにヒーリング・ゾーンである。一度黄昏班のメンバーを連れて、市の北部に広がる農村・酪農地区、『馬の背町』を訪ねて見ようと思った。老人から子供まで色んな世代が一緒になって楽しめる自然一杯のエリア、これは宝沢市のそれこそ宝物である。

 その時『山岡はん、市会議員に当選するには票がいくら必要かご存知か?』と
片槙京弥がボソッと言った。山岡はそのような具体的な事は全く考えてもいなかった。そう言われてみて初めて、現実の世界に引き戻されたのであった。30万市民の中堅都市『宝沢市』。小さな町や村の選挙と訳が違う。それも素人集団が思いつきで立候補して、一発で当選できるような甘いものでは全くない。前回の選挙の最下位当選票数が、3,200票あたりであったとの記憶が甦ってきた。山岡はその数字を答えた。
『それは4年前の札数じゃな。この4年間でここは人口が増加しておる。』そういわれてみれば、ここ宝沢市は周りの大都会のベッドタウンとしてマンションも各所に建ち、おおきな特設老人ホームなども造られていた。その人口増加による有権者数も増加している。片槙が続けて言う。『前回の投票率が55.6%じゃった。戦後の市会議員選挙では最下位に近い数値じゃな。来年の選挙はすくなくとも60%近くは行くじゃろう。』

 約5%のアップは、最低ラインを底上げする。組織も各団体との繋がりもなにもない黄昏班にとってはハードルの高さは、『走り高跳び』のバーと言うよりも『棒高跳び』のバーそのものであろう。山岡は目の前が暗くなるのを覚えた。
『山岡はん世の中、日に日に変化しとる。今までの選挙運動がそのまま通用する訳でもない。みんなで智慧を出して考えてみることじゃな。』と片槙は茶を飲みながら確信に満ちた口調で言った。山岡は今日の礼を言って、椚台の豪邸を辞した。下界が大きく広がっている。その小さな一軒、一軒の家やマンションなどが『票』に見えて、知らず知らずのうちに、自然にそれらに合掌している自分がいた。

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