2015年2月23日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・【男達の黄昏・・そして今(31)】(標高 1079 m)


【男達の黄昏・・そして今(31)】

 全員なんとなく納得したようで、それ以上空き巣の話にはなりませんでした。今日の黄昏班のテーマは、近くを流れる『明神川』(みょうじんがわ)に『魚と蛍を呼び戻すために』といった内容でした。子供達がたまには川に入って小魚を掬い、初夏にはホタルの飛ぶのを楽しめるようにしてやりたいと考えたのが今回の集まりの発端でした。


 そんな話が盛り上がっていた頃、寿司屋の鶴さんがこんな事を言い出したのです。『この黄昏班もこの夕陽丘5丁目の自然や安全の事を真剣に考えてますやろ。ここで一発、来年秋の市会議員選挙に代表を立てよやおまへんか!』『ええ〜っ、市会議員、そんな無茶な。』と徳さん。『なんでも1丁目から出てはる山脇はん、もう年や言うて次回は降りるらしおまっせ。』とは沼ちゃん。
  
『ソレハオモシロイ。ジブンノマチハ、ジブンタチデセキニンヲモツ。コレハタイセツナコト。ナンデモ、チャレンジ・スピリッツ。』とリチャード先生。少しビールが入ってなんとも賑やかな事。


 『そこでや我々の代表やけんど、どやろ深沢はん、あんたなってくれはらしまへんか?』と哲じい。『そらええは、打って付けや。』と鶴さんも声をあげた。あとはみんな賛成と手を挙げた。なんたる調子の良さ。『どやろ、周さん。思い切ってやりまへんか。』そう言われて深沢周八、おもむろに立ち上がって何やらしゃべりだした。

 ちょっと聞いてみましょう。『なんか、突然大胆な話が始まって正直言って、驚いています。と言いますのも私はまだこの宝沢市の住民になって三年ほどしか経っていません。皆さんに比べれば、まるでよそ者同然。そんな男が市会議員になんか烏滸がましいです。』と明確に返答したのです。
『そりゃ、周さんの言う事もごもっともや。せやけど“なりたい人よりならせたい人”言うやおませんか。周さんのお人柄、そして聡明さ、これらを考えると吾らの代表には打って付け、ドンピシャですわ。』と上沼幸三。

 その時、『明石屋』の暖簾を分けて入ってきたのは、天宮真智子さん事、宝沢警察署婦警主任でありました。今日もきりっと引き締まった顔つきです。『お久しぶりです。この度は色々と町の安全と防犯にご協力、ご支援頂き、香山からも呉々も宜しくとの事です。』そう言って敬礼をしたのでありました。
『天宮さん、そんな難しいこと宜しいですやん。まあどうぞお掛け下さい。どうです祭り寿司?』『懐かしいな〜、私は岡山出身なんです。母がよく祭り寿司を作ってくれました。岡山ですから“ままかり”がのっかっていました。』『これは鶴さんの地元、明石の祭り寿司です。アナゴや蛸がほら、のっていますやろ』。と哲じい。

 『ところで天宮さん、例の空き巣の犯人はまだ捕まらんですか?』と徳さんが
聞いた。天宮婦警は、少し考えていたが一呼吸おいて『はい、皆様のご協力を得て、着実に絞り込んでいます。いずれ朗報をお持ちできると確信しております。』と全員の顔を見つめて答えました。あとは市警察にお任せするのが当然の事とて、黄昏班のメンバーは頷いています。たった一人、深沢周八を除いては・・・。

 『今、表に立った時、市会議員選挙などと言った声がしていましたが、あれは来年ですよね。』と天宮婦警。『ええそうなんですが、この黄昏班は何かにつけアグレッシブを旗印にしているもので、そんな事もあるのかなと言った話で。』と
上沼幸三が答えた。『そうなんですか、宝沢市民としては、少しでもこの町が住み良い町になり犯罪の少ない町になることが願いです。是非皆様頑張って下さい。』そう言うと立ち上がって敬礼をして暖簾を潜って帰って行きました。

 みんな天宮真智子婦警主任の、まるで宝塚歌劇の男役のような端正な美しさに
つい見とれ、酔いしれていたようです。『なにぼ〜っとしてまんねん。さあ、さっきの続きでっせ』と哲じい。『まあ、こんな大きな問題、ここですぐ決めようというのが無理な話やおまへんか。周さんもお母さんにも話さなあかんやろし、次回にしましょうや。』と言ったのは、明石鶴之進こと鶴さんでした。この後は、みんなでビールをあけて、祭り寿司を食べてそれは盛り上がっておりました。

 残暑の厳しい中、深沢周八はあの夏の朝ラジオ体操をした原っぱにやって来ました。深沢は、小田村敏夫の事をずっと考えていました。彼の胸の内をはかると、苦しさ、哀しさ、寂しさなどが我が事のように胸を打つのでした。小田村の犯した罪は決して軽くはない。しかしその心の中を支配している思いは、けっしてどす黒い物ではない。それを思う時、小田村の息子の死後35年の歴史を締めくくるあるシナリオをなんとか書けないか、そればかりを考えていました。

 その年のクリスマスまであと三ヶ月が迫っていました。『川上ノボル』も腹話術の相方『ぼうや』の新しい衣装などを買うため地元の商店街や百貨店に何度か足を運んでいました。
その頃、山岡哲はある男性の家を訪ねておりました。その人物は今は第一線より身を引いていますが、以前は宝沢市のコミュニテイ誌を発行していた編集長
でした。まあこの宝沢市の『ウオーキングデイクショナリー』(生き字引)と表現すればよくお分かり頂けるでしょうか、そんな人物でした。
その方は夕陽丘のもう一段上に広がる『椚台』(クヌギダイ)に建つ豪邸にお住まいでした。下に広がる宝沢市の景色が一望に見えています。遠くの飛行場から飛び立つ旅客機もまるで箱庭の中の景色の様です。

 その豪邸の主人の名を、片槙京弥(かたまききょうや)と言った。年齢は76才、白髪の好々爺である。『先生お久しぶりです。』と山岡哲が腰を折って挨拶をした。片槙京弥はなんと羽織袴を身に付けている。『ようこそ山岡さん、まあお掛け下さい。』と野太い声で言った。『お庭が素晴らしい、そろそろ紅葉ですね。』と山岡。『手入れが行き届かず、こんなざまですな。』と片槙は周りを見渡して言った。裏山が全てこの家の庭になっているようで、どこまでが敷地かわからないほど広大である。
庭を歩く大きな鳥が見える。『キジじゃよ、まことに綺麗な鳥だ。』そう言って大きな庭に面した引き戸を開けた。冷たい風が緑の香りを部屋中に運んでくる。
築山の上に木の箱が置かれてある。

 『あれか?蜜箱じゃよ、蜜蜂のな。』『へ〜え、あれに蜜蜂が出入りするのですか?初めてみましたよ。』と山岡。この庭に出入りしていた植木屋が置いて行ったものらしい。宝沢市もこの辺りまで来ると自然が豊かで、まるで山の中で生活している感じがするのである。

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