【男達の黄昏・・そして今(37)】
小田村敏夫はある小さな園芸業者に入って植木や樹木の事について修行しながら働いていた。今から20年以上前の事である。そこそこの腕前になって、個人の邸宅の掛かり付けの庭師として仕事を始めた頃、たまたま市役所主催の園芸展の手伝いをした。その時片槙京弥氏と初めて会ったのであります。片槙は小田村を殊の外可愛がってくれた。彼の不幸な半生に同情してくれた事もあったのだろう。そして片槙は椚台の邸宅の庭を任せてくれたのでした。広いだけではない。その庭は山と言っても良いほど広大であり、一年中仕事は切れることがなかったのです。
片槙京弥邸の庭師と言っただけで、人々は小田村を信用してくれたものでした。だから彼にとって片槙は命の恩人でもあり、自分がここまで庭師の腕を上げることが出来たのも片槙京弥のお陰以外の何物でもなかったのである。
『小田村敏夫さん、でしたね。』『そうですが、なにか?』『実は私、夕陽丘5丁目に住んでいます。』そう言った時、小田村の顔に、なにか分からないが怯(おび)えのような戸惑いが走ったのを深沢周八は見過ごさなかった。『夕陽丘5丁目で頻発しています、空き巣狙いについて私はこの半年間ずっと調べてきました。』小田村は何も言わず周八の話を聞いている。『まあ、聞いて下さい。私はその犯人が縫いぐるみを必ず持ち帰っている事。縫いぐるみ人形が誰かの手によって、あの“山麓保育園”に寄贈されている事実を知りました。そして山麓保育園を訪ねて、あの悲しい災害の事も知ったのです』。小田村敏夫は何か言おうとしたが、それは声にはならなかった。
『そして私はその犯人が、ある文字で次のターゲットを指し示していた事実。それが”X”で象徴される最後の止めのマークであった事。我々はそれが、リチャード邸である事までは事前に分かっていました。しかしその”X“デイが分からなかったのです。』『深沢さん、そこまで知っておられたのですか』。小田村はそれだけ言ってまたじっと口を閉じた。『私はあの夏の日、貴方がラジオ体操のボランテイアーをされている原っぱを訪ねました。その時貴方はあの“ふ〜ちゃん”と呼ばれていた子供に我が子を見るような優しい眼差しで接しておられた。私はその様子をみた時、貴方の心の中にいつも棲み着いている、真一ちゃんの声を聞いた気がしたのです。貴方がもう悪の道から逃れようと必死で藻掻いておられるという事をもね。』
『貴方が今年のクリスマスイブ、山麓保育園を訪ねて人形劇を子供達にされるのではないか。そしてそれが貴方の社会に対するせめてもの懺悔になるのではと思いました。』『もう何も言う事はありません』。そう言って小田村は深々と頭(こうべ)を垂れた。『小田村さん、勝手な推測を並べ立てて申し訳ありません。許して下さい。』『深沢さん、そんな・・・』。そう言って小田村は流れる涙を拳で拭った。『でもいくら貴方が懺悔をしても、今までの罪は消えません。それはきちんと清算しなければなりません。でないと、奥様も、真一ちゃんもきっと天国で悲しむでしょう。そして貴方をここまで導いてくれた片槙先生に対しても申し訳が立たないのではないですか』。
彼は大粒の涙を流して男泣きに泣いた。誰もいない心鏡院の墓所に、もう深まる秋の夕暮れが迫っていた。小田村敏夫と深沢周八は、心鏡院を出て肩を並べて蓬莱川に添って歩いた。周八は彼が描いていたシナリオをその帰路、小田村に話した。小田村は一瞬驚いたが、周八の目をじっと見つめた。そして持っていた荷物を横に置いて彼の手をぐっと握った。それは節くれ立った、職人の手であった。周八もぐっと握り替えした。その時二人の間には、男同士の心の繋がりがしっかりと出来上がっていたのでありました。
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