【ヴィオロンとマグネット(慎次郎とロジーナの青春より)5】
ロジーナとの初めて共にした「愛の時」は、彼にとって終生忘れることの出来ない誰にも話せない「秘め事」であった。しかしいつかきっと会える。見えない目にロジーナの笑顔がゆれては消えていく。
可愛い孫はいつの間にか、バイオリンスクールに通っていた。そして慎次郎の前でよく習いたての音楽を聴かせてくれたりもした。その日も慎次郎の最も好きな曲、「ローレライ」を奏でてくれるのであった。
(1) なじかは知らねど 心わびて
昔の伝説(ツタエ)は そぞろ身に染む
わびしく暮れ行く ラインの流れ
入り日に 山々赤く映ゆる
(2) 美(ウル)わし 乙女(オトメ)の巌(イワオ)に立ちて
黄金(コガネ)の櫛(クシ)とり 髪の乱れを
ときつつ口ずさむ 歌の声の
くすしき魔力(チカラ)に 魂(タマ)も迷う
(3) 漕ぎ行く舟人(フナビト) 歌にあこがれ
岩根も見やらず 仰げばやがて
波間に沈むる 人も舟も
くすしき魔歌(マガウタ) 歌うローレライ
(H.Heinrich 作詞 P.F Silcher 作曲 近藤朔風 訳詞)
彼の元に、ロジーナの亡くなったことが伝えられたのは、昭和も40年を過ぎた頃であった。彼女は1945年5月3日連合国のキール空襲のさ中、戦火に倒れたという。その手にはしっかりと馬蹄形の磁石が握られていたとその人は書いていた。
慎次郎は、今手の平に乗っている片一方の磁石を見えない目で見つめていた。彼女のブルーの瞳がじっと自分に注がれているのを感じて、涙が止めどなく膝を濡らしていた。
光を失った目に、いつまでも若い溌剌としたロジーナの面影が揺れる。いつの日かきっとあの世とやらでの再々会を信じて、今日も「ローレライ」の乙女にロジーナを重ねる慎次郎であった。
その日会津磐梯山に初雪が降った。愛孫の話す空の色は、あの日のキールでの夕暮れのそれと同じであった。
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