【ヴィオロンとマグネット(届かなかった手紙)最終回】
ドイツから医師ヨアヒムが訪れた福島県会津の町は、12月24日クリスマスイブの雪の中に静かに眠っていた。山岡龍次から紫野慎次郎の住所も聞いていた。そして予め慎次郎の孫娘、愛希に今日の訪問についての全ての内容を知らせてあった。
日本の古い家々が建ち並ぶ会津美里の通りに、一台のタクシーが入ってきた。町の家々の屋根も木々にも昨夜降った雪で覆われていた。
ドイツ人医師ヨアヒムは、ある大きな門構えの家の前でタクシーを停めた。会津の町にはもう夕暮れが迫っていた午後4時頃だった。
タクシーをおりてヨアヒムは大きく深呼吸をした。なんとも言えない清浄な、冷たい空気が彼の胸の中に染み通ってきて、引き締まった日本の冬に感動していた。
家人が数人、門の外で待っている。ヨアヒムは白い息を吐きながら、男性と握手をした。その人は紫野慎次郎の長男、正一氏だった。連絡をとっていた愛希に促されるように、彼は大きな屋敷の庭に案内された。
この屋敷の中に自分の父と思われる、慎次郎がいる。果たして見えない目で自分を待っていてくれるのだろうか?一瞬ヨアヒムの心の中に不安が過(よ)ぎったのだ。
大きな日本座敷に通された。そこには日本家屋独特の暖をとるスペース、囲炉裏が切ってあった。優しい暖かさが部屋全体に漂っていた。
彼は椅子をすすめられて・・・そこに腰をおろす。愛希が傍に来て、祖父慎次郎が間もなくここに来ることを話してくれた。背筋を伸ばして待つヨアヒム、その時正一と愛希に介添えされた慎次郎が障子を開けて入ってきたのだ。
白い頭髪、痩せた体、光を失った目。でもその風貌にはどことなく『野武士慎次郎』の面影を残している。
慎次郎は今、ヨアヒムの前におかれた椅子まで進んできた。ヨアヒムは立ち上がって、『ワタシハ、ヨアヒムトモウシマス。ハジメテオメニカカリマス』。とドイツ語で話した。
『シンジロウデス。ヨクゾ、アイヅノチニコラレマシタ。ウレシイデス』。慎次郎ははっきりとしたドイツ語でそれに応えた。正一も愛希も慎次郎がドイツ語を話すのをそのとき初めて聞いたのだった。
二人は手をしっかりと握りあい、椅子に腰かけました。愛希は祖父にヨアヒム医師の来られる事を既に話していた。慎次郎も心の準備をしていたのだった。
ヨアヒムは胸のポケットから一通の手紙を取り出したのだ。そしてその手紙をそのまま読み始めたのだ。それは母ロジーナが47年前に、一人慎次郎の事を思いつつ認(したた)めた手紙そのものだった。そのままドイツ語で読み進んでいく。
膝に固く握り締めた拳を置いていた慎次郎の肩が小刻みに震えていく。頭(こうべ)を垂れて、むせび泣く老人の目からは止めどなく涙が膝を濡らしている。
最後の『今にも貴方のもとに飛んでいきたい、会って抱きしめてもらいたいのです』。とロジーナが語りかける所では慎次郎は嗚咽を上げたのだ。
愛希がそっと祖父の目にハンカチを当てた。その時慎次郎は震える手を伸ばして、その手をヨアヒムの顔に近づけた。赤髭の顔をゆっくりと撫でている。目、耳、口、それはまるであのドイツ・キールの夜のロジーナの顔を思い出すかのような所作であった。
そして彼は『ヨアヒム!』と言って息子の大きな体をしっかりと抱き寄せたのだ。ヨアヒムも『ファーター!』(お父さん)と言ったきり慎次郎の痩せた胸にすがって泣いた。それはいままで一度も肉親の暖かさを知らなかったヨアヒム医師の姿だった。
しばらくして、ヨアヒムは胸の奥から一つの馬蹄形マグネットを取りだした。それは彼が7歳の時、老ライファーから渡されたあのマグネットだったのだ。
慎次郎も着物の胸の中から同じマグネット、それはロジーナがあの夜、彼に渡した片方、そのものだった。その二つのマグネットは、50年の歳月を越えてここに一つに結びあったのである。
慎次郎は紙袋を一つ取りだして、ヨアヒムに手渡した。その中に入っていたのは、あのキールでの再会の日、初めて二人で写した写真だった。たった一枚のそのセピア色の写真には、「慎次郎とロジーナの青春」がハッキリと残されていたのだ。
それらはロジーナの深い愛を越えて、その息子マンハイム州立病院外科部長、Dr. Joachim(ヨアヒム)に、二人の命の継承がなされた瞬間だった。
明くる朝、紫野慎次郎邸を去って行くヨアヒム。見えない目で息子を見送る慎次郎。慎次郎の手には、愛するロジーナとの果たせなかった愛の形見である二つのマグネットがしっかりと握られていた。
その朝磐梯山は新雪に輝いて、慎次郎の目にも明るい光が届いていた。「届かなかった手紙」が今間違いなく届いたのと同じように。(完)
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