2011年2月16日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブ <標高28m>

【ヴィオロンとマグネット(届かなかった手紙)7】

その古い手紙の受け取り人は、「Japan,Tokyo,Dep.of the Interior」内務省、Mr.Sinjirou Murasakinoとなっていた。インクが消えかかっていたがなんとか読む事が出来た。

そして差出人は、ロジーナ・レヴィン(Rosina Revein)と裏に記されていた。ヨアヒム医師は、その手紙を何か不思議なものでも見るように色んな角度から眺めていた。それは消印によると、汚れて掠(かすれ)てはいたが19432と読むことが出来たのだ。

彼は開封する前に、まずこの古い手紙が自分の手元に届けられた経緯(いきさつ)を知らねばならないと考えた。

数日後ヨアヒム医師は、近くの、Auf der Post(郵便局)に出掛け、窓口で先日配達されて来たこの封書について尋ねてみた。しばらくすると局長と名乗る男性が出てきて、彼の部屋に来るように言った。

その経緯は次のようだった。最近本庁で保管されている宛所のない郵便物の整理が行われたらしい。その中に、第二次世界大戦時に何らかの事情で、宛先に発送されなかった郵便が沢山保管されていたと言うのだ。

戦時下の事、それは検閲に引っかかったもの、戦火が激しくなってSchiffspost(郵便船)が出航しなかったものも含まれていただろう。彼の手元に届いたのは、それに相当していたのではないかとの局長の話だった。

ではどうしてこの手紙が、自分と関係があると分かったのかを尋ねてみた。その時、初老の所長はじっと考えていたようだった。彼は言葉を一つ一つ選びながらゆっくりと話し出した。

Dr.ヨアヒム、まことに申し上げにくいのですが率直に申し上げて宜しゅうございますか?』『ええ、当然です。それを聞くためにここに来たのですから』。ヨアヒム医師がそう言ったとき、局長は一冊のファイルを書類棚から取り出して戻って来た。

そのファイルには、「孤児院関係」とだけ記されてあった。そして彼はあるページを開くとじっとヨアヒムの目を見て、ひとつ頷(うなづ)いた後、ゆっくりと話し始めたのだ。

『先生は、ベルリンのA孤児院におられましたね。実はその施設の資料に基づいてこの郵便物はお届けしたのです』。『ええ私は少年時代をA孤児院で過ごしました。あの戦争で、私を生んだ父も母も、そして親戚もみんな死んでしまったのです、だから・・・』。

局長はその話をじっと聞いていたが、やがて同情と優しさの眼差しで彼を見つめながら、こう話を続けたのだ。

『この差出人は、ロジーナさんです。ほらここにロジーナ・レヴィン(Rosina Revein)とうっすらと読めるでしょう』。彼は手紙を裏返して、指でなぞりながらヨアヒムに示した。ヨアヒムもここに来る前に、その名前は判読出来ていた。でもその差出人が誰なのかは全く分からないまま、開封せずにここを訪ねたのが実態だった。

『ところで、このロジーナ・レヴィンという方はどなたなのでしょうか?』『Dr.ヨアヒム、あなたは本当に何もご存知ないのですか?』『ええ、全く思い当たりません。まして戦時中のことですから』。

しばらく沈黙を保っていた局長は、意を決したかのように話し出した。『この手紙をお出しになったのは、貴方のお母様です』。それを聞いたヨアヒム医師は驚きというより、頭の中が真っ白になったかのように感じていた。

孤児院でもそんな話は一度も出なかった。少年に生長した頃から、自分は天涯孤独だと心底信じていた。だから戦災孤児の施設に入っているのだと思っていたのだ。

局長がファイルを眺めながら、言葉を続けた。『貴方のお母様は、あのキール空襲の夜、戦火から逃げまどう中に倒れて、帰らぬ人となったようです。でも胸の中にしっかりと一人の赤子を抱いていたのです』。『母・・空襲・・死』。ヨアヒムは一言ずつ、言葉に出して呟いた。

『その時、民間の自衛消防隊の一人がその女性の胸の中から一人の男の赤ん坊を抱き上げました。幸いその子は無傷だったそうです』。『それが・・・その赤子が、私だったというのですか・・・』。

Dr.ヨアヒムはむせび泣くように言った。

『その時お母さんの胸に縫いつけられた認識票でどなたかがわかったのです。この記録に残ったのはその民間自衛消防隊員のお陰でした。お母様は手に一つの小さな馬蹄形マグネットをしっかり握っていたそうです』。

ヨアヒムは『あっと!』驚きのあまり声を上げた。そして彼は、自分の胸のポケットから一つの古いマグネットを取りだしたのだった。

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