2011年2月18日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブ <標高29m>

【ヴィオロンとマグネット(届かなかった手紙)8】

ヨアヒムはその夜、郵便局から持ち帰った手紙を開封した。まず宛先がJapan・東京・内務省・紫野慎次郎と記されていた。その紫野という人物は母ロジーナとはどのような関係にあると言うのか、そしてその手紙の内容とは?

そこには母ロジーナに子供が宿った事が記されているのだった。そして読み進んで行くうちに、それはキールの町で母が当時住んでいた家での、ある夜から始まっていたことが窺い知れたのだ。なんとその日本人は母ロジーナを心底愛し、ここドイツの地で再会を果たした夜、ただの一度だったが刹那の炎を共にしたのだった。

母はそのことを慎次郎に伝えるべくこの手紙をしたためていたのだった。ところが戦火が激しくなり、混乱の中で手紙は行方不明。その後ロジーナは男児を出産した。生まれてきた子の風貌は、まさに東洋人の血を引いているような思慮深さを残していると記されていた。

その乳飲み子を抱いて、空襲の下を逃げまどう若き母ロジーナ。キール空襲の夜、防空壕を目指してよろけながらもひた走る母。容赦なく雨あられと降り注ぐ弾丸と炎。

その時一発の至近弾を受けた母ロジーナは力尽き、水を求めつつ命尽きたのだった。

それでも母は胸の下に泣き叫ぶ幼子をしっかりと抱いていた。そして力無く伸ばした手には、一つの馬蹄形マグネットが握られていたと言うのだった。

ヨアヒムは自分の出生の真相を知った時、見知らぬ母、ロジーナの深い愛を感じて号泣していた。ベッドに倒れ込んで、シーツを握りしめて子供のように泣きじゃくったのだった。

天涯孤独と思いこんでいた自分を、たとえ短い間でも乳を飲ませ、暖かく柔らかな胸に抱きしめ、この目を見つめてくれたであろう母ロジーナ。今も自分の体の中に生き続けている母の命の脈動。

知らない間に何時間かが経過していた。涙が涸れてしまったヨアヒムはその時ある事をじっと考えていた。それはこの手紙を受け取るはずであった紫野慎次郎、即ち自分の父であろう日本人への思慕とその消息であった。

非業の死を遂げた母ロジーナの為にも、父慎次郎を捜しだすことが自分の使命だと確信していた。

ヨアヒム医師には、ハンブルグの日本総領事館に友人がいた。早速彼は友人に連絡を入れ、是非力になってもらいたいことがあると電話で話したのだ。

その友人山岡龍次(やまおかりゅうじ)からは、一度会って話を聞こうと言ってきた。ヨアヒムはその年の冬、雪の中をハンブルグのホテルへと向かっている。



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