2011年6月25日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高74m>

ルカによる福音書 第1818節〜30

『金持ちの議員』

24節〜30
イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。するとペテロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」

金持ちが自分のお金を持って天国に入る事は難しいのだ。さすればいったい誰が救われるのだろうか?私たちは自分の力で天国に入る事は出来ない。しかし神様なら何でもできるのです。
そこでペテロが出て来てこう言います。自分は全てを捨ててあなたに従いました。イエスはそのペテロに対して何も応えておられないのです。それでは、何を言おうとされたのか?「はっきり言っておく。・・・」この言葉を額面どおりに受け取って、その行為を助長する教会があり、私有財産を全て召し上げてしまったのです。それは一時、社会問題化してきたのです。間違った解釈が、多くの人々の人生を狂わせてしまったのです。

イエスが言われた。神の国の為にとは、つまり神様とあなたの関係は、たとえ家や家族や財産なんかは関係ないのです。まず神に従う事が大切なのです。では神の国に入るには清らかな信仰、純粋な信仰を持ったものしか入れないのでしょうか?

子供のようにする人は神の国に入る事が出来るとあるが、果たしてその言葉通りなのでしょうか?子供のように・・・どんな者であっても資格の有無は問われないのです。つまらない者ですが、こんな私を受け入れて下さいと祈る事が大切なのです。人間が今までやってきたことを誇るとすれば、それは空しいものであります。

人生、山あり谷あり、罪も過ちも犯します。そんな私ですが神様、哀れんで下さい。そう言って従う人をイエスは喜ばれ、求められるのです。ありのままの自分をさらけ出して神様に祈るのです。信仰の強さを神に誇ってはなりません。

(2009年 旭キリスト教会にて岸本牧師のお話を筆記したものです。文責 庵主)


人間の心や行いがどう変わろうとも季節は巡り、生命の糧は光りとなり水となり、空気となって与えられます。それに感謝して生活する事が、恵みに対する返礼なのです。(庵主のひとこと)

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