【タラントン】のたとえ
祈る手 われに来よと主は宣りたまふ Imagined by Jun
マタイによる福音書 第25章14~30節
この話は天の国のたとえ話です。なのに神はなぜこのような不平等な与え方をなさったのでしょうか?この違いがあるのは何故でしょうか?
神様はこの僕(しもべ)たちを信頼してお預けになりました。神様は一人一人にすごい能力をお授けになっているのです。人間各人には確かに違いはありますが、それぞれに素晴らしい能力をお給えになっておられるのです。ここがまず大切なところです。これは私たちそれぞれが神様から問われている、たとえ話なのです。神様より私たちの人生や命のことを問われる時があります。『あなたは、どの様に今まで生きてきたのですか?』と。
「メメントモリ」というラテン語の言葉があります。これは「死を覚えよ」「死を忘れるな」と言う意味です。自分はやがて死を迎える。そう、限りある存在であります。その限りある生命をどう生きるのか?その間をどう生きているのかを問いかける意味で、メメントモリと言う言葉が掲げられてあるのです。
神様は一人一人に可能性も期待をも持って、この世におつかわしになっているのです。それがたとえ1タラントンであってさえも、そうなのです。私たちは大きなことをした時は、人よりも褒めてもらいたいものです。神様は少ない人をけなしたり、バカにしたりはなさらないのです。同じように評価をして下さることを知らねばなりません。
どれだけ大きなことをしたから神様より認められるということではありません。『どれだけ大きなことをしたかより、どれだけ心を込めたかを考えなさい』とは、マザーテレサ女史の言葉です。自分に与えられたものを、どのように有効に使ったのか。
1タラントンを預かった人が、もし商売に失敗してお金をなくしてしまったとしたら、この御主人はどう言うだろうか。聖書を読む人の多くは、預けられた人に置き換えて考えるでしょう。そして失敗した時を恐れるだろう。そこには大きな誤解があるのです。主人はそんな人には、1タラントンも預けなかっただろう。
神様は仮に失敗しても「善くやった」と、ともに喜んで下さるに違いないのです。神様の御心を行おうと思っても、それが出来ない弱い者が人間なのです。だからこそ私たちは目的を持って、私たちを創造(つく)って下さった神様にどうお応えするのかが、人生の大いなる歩みの目指すものなのでしょうね。
『あなたはかけがえのない人生をどう生きますか?生きてきましたか?』という問いかけの文章であり言葉であるのが、このたとえ話なのです。
ご精読有り難うございました。この話は、旭キリスト教会にて岸本牧師による説教を筆記したものです。(文責 庵主)
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