2011年8月31日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花と踊り子 <標高118m>

【今朝の幻想】


秋の野花:シオン・昨夜の雨に濡れて可憐な花びらが微笑んでいるようだ


プリマドンナはひたすら汗を浮かべて躍動する 花びらの清楚さを確かに超えていた

                                                                                        Imagined by Jun

2011年8月30日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ミドリヒョウモン <標高117m>

【今朝の新顔】



今日は8月30日です。先週まではエゾゼミの声も森の中から賑やかに聞こえておりましたが、それも今週になってピッタリと途絶えたようで、ミンミンゼミのか細い声だけが聞こえてきて、季節の変化が身にしみて感じられるというものです。

正岡子規の句に「野分して蟬の少なきあした哉」というのが有りますが、野分けが台風だとすれば、今日本に近づいている台風が季節を明確に区切ってくれるかも知れませんね。

蝶の仲間はまだけっこう元気に飛び回っています。夏から秋にかけての花々が咲いていますので、蜜を求めてやってくるのです。

この「おとこなえし(おみなえしではありません)」の白い花にとまっているのは、ミドリヒョウモンというタテハチョウの仲間です。ツマグロヒョウモンの雌の派手さから比べると同じヒョウモン族の中でも地味な蝶々ではあります。


2011年8月28日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花かんざし <標高116m>

【今日の一押し】



紐鶏頭(ヒモゲイトウ)「アマランサス」

まるで舞妓さんの髪飾りにつかうような花紐ではないか。田舎道で見つけた「今日の一押し」



2011年8月27日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高115m>


『聖書に学ぶ』「やもめと裁判官」のたとえ(下)

ルカによる福音書、181節~8

続いて聖書は・・・

 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」

 そこでだ、イエスはこのたとえ話を何の為にされたのでしょうか。「気を落とさずに絶えず祈ること」の為にこの話を出されたのです。詩篇22にもあるように、最初は『わが神、わが神、なぜに私をお見捨てになるのか・・・』といった恨みの文句がつづられています。そして祈り続ける中で、その人は前に導かれていくのです。苦しい中で、一日中祈っている、そしてその祈りは、神を称える祈りに昇華していきます。

 私達も祈り続けても道が見いだせない時が多々あります。しかし答えがない祈りを続けていく中で、神を見出していくのでしょう。それは祈り続けるという行為のなかで、わたしたちは縋るように神に懇願し、そして序々に目覚めていくのです。そしてついにその人は、神の恵みを語りだすのであります。

 祈りを続ける者は、必ず神を見出し救われるという詩の心を書き記したのが、詩篇22でありました。ここでルカは、『気落ちをせずに祈りを続けなさい』とイエスはわたしたちに語っておられるのだと書いています。たとえ不正な裁判官、このような人でも、何度でも続けて頼んだら、聞き入れてくれるのです。まして神様は昼も夜も叫んで求めている人々を決して忘れてはいないのです。

 神様がわたしのことをほうっておかれる、忘れてしまわれるのではないかと、思ってしまうことがあるかも知れないが、決してそうではないとイエスは申されているのです。

聖書には・・・

「言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」8

 有名なエッセイストがいました。この女性は博士号をとり、35歳で大学の学長にもなった。しかし50歳のある時、鬱(うつ)病になりました。そして死にたいと思うようになり、病院に入院します。鉄格子の入った部屋に入れられたとも話しています。

 祈ってもなにもこたえられない日々が続きます。彼女は、神が遠くになってしまったと嘆いたのです。そんな彼女に神様がこたえて下さるのはどういうことなのだろうか?そんな悩みの日々の祈りの中に、このような言葉が彼女に天降るのです。

 「神様は人に対して、背負うことの出来ない重荷を与えられません」この言葉で彼女は救われたのでした。そして、「祈りを続けてこられたからこそ」その重い言葉(真理)が彼女の口を衝いて出るのです。

 さきほど見た、詩篇22は、「なげきの詩篇」と言われています。そのような祈りであっても、大切な時には、神様はきっとお聞き届けになって下さるのです。父なる神には、きれい事の祈りでなくっても良いのです。まず祈り続ける事が大切なのです。イエスも十字架の上で同じ祈りをされました。

 「お祈りからあなたの信仰が始まるのです」たとえそれが、辛子種ほどの小さな信仰であっても、神様は必ず道を開いて下さる。教会はそのことを証しする癒しの場なのであります。

お読み下さった全ての方々の上に、神様の愛があたえられ、必ずや悩み苦しみが神様の手によって慰められ、癒され、救われますように。


この昆虫は蛾の仲間で「オオスカシバ」といいます。蟬のような透き通った羽根を持って、花の蜜を吸っています。何事も出所来歴で判断することは避けるべきだと思いますね。



2011年8月26日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高114m>


『聖書に学ぶ』「やもめと裁判官」のたとえ(上)

ルカによる福音書、181節~8

 初めに、イエスのたとえ話はたまに辻褄のあわない事があるということを知っておきたい。この未亡人と裁判官のたとえ話もそのうちの一つであろう。

 当時の世間では、裁判官という職業は地位と金が稼げる安定した職場であった。この裁判官はローマ帝国の裁判官だったようで、ワイロが横行していた時代であり、ほんとうのところ、立派な裁判官は少なかったようだ。

 ここに登場する女性は地位の低い「やもめ」であり、誰もまもってくれないのだ。イエスはそのような女性を登場させている。聖書の文言を読みながら話を進めていこう。

 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。1節~3

 こういうことであります。この女性は、相手を裁いてわたしを守って下さいと裁判官のところにくりかえしやってきてそう言ったのだ。どうみてもストーリーになっていないでしょう。

 状況をつまびらかにしていない。このやもめが正しいのかどうかは、この話には明確にされていません。キリストはその事は無視しているのです。

さて続いて聖書を読んでみましょう。

 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」4節~5

 こんなにしつこい女性がいたというシチュエーションであります。その裁判官はしばらくの間は取り合わなかった。何もくれない者は駄目だよ、くらいの気持ちだった。この裁判官は、神をも畏れず、人を人とも思わない、法の番人とはとても言えない裁判官であった。しかしこのやもめが余りにもうるさいので、彼女の為に裁判をしてやろうと思ったというのです。それは正義の為ではなく、自分の為だったのです。すなわち、「うるささ」からの逃避でした。(明日に続きます)


教会の十字架は「赦し」の象徴です。人を赦すと同じく、自分自身をも赦すのです。




2011年8月25日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・水中アマガエルのガマン <標高113m>

【今朝のええ顔〜〜


『けったいなとこから顔出してんのはガマン君とちゃうか?』『あっ、その声は庵主はんでしたかいな。へえ ガマンです』。『そろそろ寒むなるで。ちゃんと用意しとかなあかんで』。『わかってまんがな。しゃさかいにアッチャコッチャ見回してまんねん』。
『ほんで何さがしてんの?』『それ言わなあきまへんか?辛いな〜。いいやいな、どこかに可愛い女の子おらへんかと思て・・かんにん』。


『そんな時間あるんやったら、しっかり働きなはれ。おまはんにはアマンちゃんというええ母ちゃんがおるんやろが?』『そら・・・そうですけど、たまにはムニャムニャ』『あほ!いまごろアマンちゃん、あの小さいからだで冬の住み家造ってるんやで。知ってるやろ!』『うるうる・・・アマン、ごめんや。今からすぐ行くから待っててや』。

庵主の一言:今朝もちょっとだけ人助けしたな。ここの冬はきついから、暢気な事言うてたら、まじえらい事になるのです。そう言う私も働きまひょ、どっこいしょ・・・と。

(アマン、ガマン、ゲロッポのお話の一場面より Imagined by Jun)



2011年8月24日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・シロスジカミキリ <標高112m>

【今朝の新顔】

今朝「柏の木」にとまって
休んでいる大型のカミキリ
ムシがいました。
シロスジカミキリ」です。
日本では最大級のカミキリ
でしょう。



体には黄色の斑点があります。なのに「シロスジ」とはどういうことでしょうか?調べてみますとこの虫、死んだ後にはこれらの斑点や筋は白く変色するのでそう呼ばれているようです。


以前の記事で調査中としておきましたこのカミキリムシの名前は、「キボシカミキリ」でした。


2011年8月23日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・クジャクチョウ <標高111m>

【今朝の新顔】


昨日の午後のこと、川筋のちょっと平坦なところに今まで見たこともない美しい蝶を発見しました。なんと目玉が4つもこちらを睨んでいます。まるで南国のジャングル地帯に棲む蝶のようです。調べてみましたら「クジャクチョウ」でした。クジャクが羽を広げたときの姿に似ているところから名付けられたものです。

『夏の高原を代表する美しいタテハチョウ。路上に羽を開いて静止している姿はまことに美しい。アザミ、マツムシソウなど各種の花を訪れる。9月はじめには数を増し、成虫で越冬する。羽の表面にはクジャクの羽にあるような眼状紋があり、よく目立つが、羽を閉じると地味な色で目立たなくなる。』と図鑑の説明でした。

2011年8月22日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ハラタケ <標高110m>

【今朝の新顔】



今朝の新顔はキノコです。夏の終わりから秋にかけて色んな種類のキノコが出ます。この数日間雨が降り続いたので、マインヒュッテの周辺にも珍しいのが顔を出しました。

芝生を刈り込んだ時、芝を捨てる場所があります。そこから出ていたのがこのキノコでした。傘の直径は10センチほどありました。キノコは全く素人な者で、早速「山と渓谷社」の「山の幸」なる図鑑を開いてみました。そこには、ハラタケ類の中にこう記されています。『西洋料理でおなじみのマッシュルームの仲間で、人っけ臭い草むらや芝地、竹やぶなどに生えるためか、日本ではきのこ狩りの対象とはなっていない。』とは言えドクツルタケにも似ており、いざ食べるとなると首をかしげ、腰も引けます。まあ写真にとって眺めるだけにしておきましょう。

2011年8月21日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・オオウバユリ <標高109m>

【今朝の新顔】


オオウバユリ:ユリ科の植物、別名:ヤマカブ ヤブユリと言います。新潟県野草図鑑によると、しめった山地の林内、谷間の草地にまばらに生えると説明してあります。


マインヒュッテの傍を流れる「清渕川」の支流の水辺に咲いていました。今まであまり見たことがない百合でしたので、写真におさめました。これくらいの大きなものになるのには、5年以上かかるそうです。

若い株にある鱗茎を食用とする。くせも苦みもなく、ソフトな舌ざわりで真のユリと違った風味があるとの事です。高原には面白い植物が多く自生しています。でもボクは門外漢、山野草はいつまで経っても苦手ですね。

2011年8月20日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・朝冷えの中で <標高108m>

【今朝の新顔】


雨上がりの今朝の温度は18度とちょっと寒いくらいでした。蟬も全く鳴きません。トンボも飛ぶことはちょっと無理でしょう。数日前までキアゲハの幼虫がイブキゼリモドキ(セリ科)の葉に10匹ほどとまって、モリモリと葉を食べていましたが、今朝はもう一匹を残すのみ。


周りを探してみると、サナギが一つ露に濡れて茎に張り付いていました。8月のお盆明けにこんな冷たい朝をむかえるなんて、昆虫もカエルも鳥たちも思いもしなかった事でしょう。
私達も半袖ではちょっと風邪でも引きそうで、ウインドブレーカーを着て写真を撮っているのです。さてこのキアゲハの羽化は果たして無事に行われるのでしょうか。

2011年8月19日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・名前を調査中 <標高107m>

【今朝の新顔】


日本国中に生息するカミキリムシはなんと約930種類もいるそうで、見てすぐに名前が判るのは、ゴマダラカミキリ、シロスジカミキリ、ルリボシカミキリなど数種類なのです。勉強不足でお恥ずかしいことです。

ここ妙高高原にも色んなカミキリムシが生きていますので、これからじっくりと腰を落ち着けて写真を撮ろうと思っています。そして正しい名前を調べてみたいと考えております。

2011年8月17日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高106m>

【単身赴任もまた楽し 1996.9.21】

今回の『単身赴任もまた楽し』は、ライバル工場にいる私の友人に近況報告をしたメールをアーカイブ・ライブラリーより再録させて頂きました。

Happyに中年男性が燃えている様子が、手に取るように伝わって来るExcellentなメール有り難うございました。魚の美味しい『鳥八』でともに盃をかたむけた頃が懐かしく思い出されます。

『この盃を受けてくれ。どうかなみなみ注がせておくれ、花に嵐の喩えもあるさ。サヨナラだけが人生だ』と言ったのは、寺山修司だったでしょうか。

私ならこの後にこう続けますね。『サヨナラだけが人生ならば、明日咲く花は風の声。空を行く雲、流れる水に風の持ち来る紅葉葉は赤も黄色も緑もあるさ。人生しょせん、出たとこ勝負。お兄いさん、お姉さん方、宜しゅお願い申します』

なんてちょっと寅さん風になりました。


さて先日、吉井川で40センチの石斑魚(ウグイ)を釣り上げました。その日は調子が良く、45センチの鯰(なまず)なども上げておりまして、久しぶりの大漁でした。地元の人から、『まるで津山の川漁師じゃね』とお褒めの言葉などを頂き、調子に乗って『飲みねえ、食いねえ、津山っ子だってねえ』などと広沢虎三の世界にはまり込んだりしたわけで。

さて新社長の胸の内は、なかなか窺い知れませんが、少なくとも営業を一度も経験していない管理職はまず営業職を経験する。また今まで一度も工場管理を経験していない管理職は工場勤務にと、適正なる人材配置をなさると思われます。

ただし一年目は余りドラステイックな改革は無いでしょうが、平成9年度(当時)の下期あたりから本格化するのではないでしょうか。管理職は経営補佐役としての実力と視点を持たねば勤まらないことは言うまでもありません。

社長の私どもに対する叱声には身の引き締まる思いがしたものでした。野球に喩えれば、キャッチャーからセンターまで一通りこなせる様になっておかねばならない、と言ったコンセプトでありましょう。ビールを片手にした野球見物といった極楽状態から、フィールドに降りて、自分の足で白球を追え!!

という事なのでしょうね。いずれにしましても、健康な体力が新社長の打ち出される『企業ロマン』に参画する当然の条件ではあります。

私もこの津山製作所を任されている以上、ライバルの製作所に負ける事のないよう、セブンイレブンの生活に徹する覚悟です。今後とも宜しくご指導下さい。また決算が終了しましたらゆっくりやりましょう。

(注)セブンイレブンの生活=朝7時までに会社に出勤して、夜11時を過ぎて会社を退社する日常。これは、アメリカの企業エグゼクテイブが実践している行動原理です。当時のモーレツ社員の典型ですね。

懐かしい日々が彷彿と致します。当時に引き替え今日の生活はまさに『サンデー毎日』であります。お元気にて、年末までもう一頑張り致しましょう。

2011年8月14日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・オオシオカラトンボ <標高105m>

今朝の素晴らしいトンボ:オオシオカラトンボ(赤倉温泉郷)



とっても美しい濃いめの水色の衣装を纏っています。成熟した雄(♂)は躰全身が蒼白粉に覆われます。朝から歩いて妙高杉野澤から赤倉温泉郷まで約1時間20分の道のりでした。カンカン照りの中、旧細川邸のすぐ近くにある高原の小さな『ホテル無門』のお庭で待っていてくれたのは、このお洒落なトンボ:オオシオカラトンボでした。

このトンボ、こんなに綺麗な躰をしているのに結構どう猛なのです。ボクの大切な「ミヤマアカネ」を捕まえて、頭からムシャムシャと食べてしまうのです。



2011年8月12日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・グレイテスト <標高104m>

今朝のトンボたちを紹介します


トンボの王様:オニヤンマ 雄


マユタテアカネの雄 体色が緋色に変化


2011年8月10日水曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・生きとし生けるもの <標高103m>


白樺の洞(ほこら)に棲むアマガエルの「みどりマン」と今朝羽化したエゾゼミの抜け殻の記念写真を一枚。地上での生活を終えたエゾゼミの個体がいくつも道ばたに落ちている朝。生きとし生けるものたちの舞台も、夏から秋に転回し出したようだ。

さあ!今新しい船出が近付いている。日本丸は帆にいっぱいの海風を孕んで、過酷な航海に船出しようとしている。海の女神よわれら民族に大いなる祝福とご加護をあたえ給え。

『洞の中からオレッチも応援してるぜ。じゃあな、ケロ・グ〜ウバイ』

(アマン・ガマン・ゲロッポのお話)より Imagined by Jun



2011年8月9日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・新たなる旅立ち <標高102m>




進水式 神戸港 和田岬 Imagined by Jun

抜けるような青空の下、身も心も「新しい旅立ち」をしましょうよ。いつまでもこのようなやりきれない思いを、朝まで引き摺るのはよしにしませんか。

もともと日本人には、「潔(いさぎよ)さ」と「恥じを知る」と言うのが民族の根底に流れている文化なのです。新しい大海原へ向けての大航海、進水式はそんな思いを叶えてくれました。




2011年8月8日月曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・夏の作業現場 <標高101m>


薪割りも8月に入って急ピッチで進んでいます。暑くなってアブが出てきました。顔の周りを飛ぶので作業の邪魔になります。やっとアブの敵対法を見つけました。それは捕虫網を置いておくと不思議といなくなるのです。こうしておくとアブたちは本能的に危険を感じてどこかに行ってしまうのでしょうか? もう少しデータを採って確認してみます。




ここはボクの作業現場のひとつです。パラソルの中に使用済み軍手を洗って干しています。この現場では息子が薪を割ってくれます。電動のチェーンソオーを使って太い木も玉切りにします。ボクは細めの丸木を適寸にカットします。これは乾燥させてそのままストーブに放り込めます。木に囲まれたマインヒュッテの庭は、風が吹いてくるととても涼しく、汗が一気に引いていきます。最近では「ミヤマアカネ」が芝生にやってくるのです。そのためにも捕虫網は手元に置いておきます。アブの「退散まじない」だけではないのですよ。

2011年8月7日日曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・森の音楽祭 <標高100m>


8月6日の夜、いもり池のそばにあります池の平温泉特設野外ステージにて、第18回森の音楽祭が開催されました。広い芝生と木造のステージ、両側に庭燎を焚き「篝火コンサート」としての野趣溢れる催しでありました。


池の平 森の音楽祭合奏団によるスッペ:歌劇「詩人と農夫」序曲、モーツアルト:弦楽合奏「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」より。なかでもVc独奏:花崎 薫さんは素晴らしい演奏でした。



池の平森の音楽混声合唱団のオーケストラとの共演は、なんとも贅沢な時間でした。出来ればボクもこの一員として歌いたい気持になりました。

特にバッハ作曲のコラール「主よ、人の望みの喜びよ」とヨハン・シュトラウス作曲のワルツ「美しき青きドナウ」は、素敵でした。

2011年8月6日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・昨夜のイワナ <標高99m>


昨日の早朝、良型のイワナを釣り上げました。早速夜の食卓に、と言うより酒の肴にしようと、どんな料理が良いか考えました。定番の塩焼き、そして骨酒はあまりにもオーソドックスですよね。やはりここは、イワナの腹に自家製味噌をしっかりと詰めて、それをクマザサでくるんで蒸す、「マインヒュッテ・イワナの味噌蒸し」と決定しました。

お腹を割いて驚きました。しっかりと卵をもっていたのです。可哀想なことをしたかな・・・と思いましたが、脂がのっていて美味に違いないと勝手に納得したりして取りあえず前に進みます。

まず胃袋内のチエックをしました。彼らが今頃捕食している物は何か?それは小さな白いワームでした。カゲロウかそれに似たものの幼虫です。これからの餌はまずこの小虫が一番だと脳裏に覚え込みました。


クマザサの葉は周りに無尽蔵にあります。とっても良い香りがして、乾燥させて笹の葉茶にもなりますし、笹団子、笹の葉寿司には無くてはならない名脇役です。それに刳るんで、凧糸で巻いてお鍋で蒸しました。味噌を多めに使うのがこの料理の「味噌」なんです。

20分ほどで蒸し上がります。熱々の笹の葉を一枚ずつ剥いで行くのは、笹と味噌のなんともいえない良い香りがして、京都貴船の料亭「べにや」に来た感じがしたものです。早速湯気も香ばしいイワナの白肉に味噌を絡めて美酒を含みます。ウ〜ンこれぞ日本の田舎の味、里山の素朴な料理なのです。これが今回のイワナ釣りの上流から川下までの顛末です。

2011年8月5日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・今朝のイワナ <標高98m>


Presented by Jun

昨日の夕方、傍を流れる「清渕川」を活きの良いミミズを餌に攻めてみました。餌を追う良型のイワナが認められましたが、残念ながらゲット出来なかったのです。仕掛けを改良して、朝の7時に再度挑戦した結果が、写真のイワナでした。

結構強烈な引きで、周りのブッシュに充分気を付けながら釣り上げました。ぽってりと肥えた21センチ大でした。今晩の酒の肴になってくれるのですが、その料理と言いますと、腹を割いてそこに味噌を詰めて、おもむろに蒸すのです。「信濃サーモンの味噌蒸し」ならぬ「マインヒュッテ・イワナの味噌蒸し」とでも名付けましょうか。

今日は一匹で打ち止めです。友人が来る頃までには、もう少し大きく育ってもらいましょう。と言うことでイワナ君に感謝です。

2011年8月4日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・木のある風景 <標高97m>


知人の敷地内で『クヌギ』の大木を伐採しました。樹齢60年ものです。その根元部分をカットしたのを貰ってきました。広葉樹は目が詰まっていますので何しろ重いのです。息子と二人、やっとの事で車にのせましたが、腰がギシギシいいましたよ。さてこのクヌギの輪切りをどう使いましょうか。


ボクは芝生でのコーヒータイムやビヤパーテのテーブルが良いと思うな。家内は植木鉢を並べるとアピールするかも知れないな。皮を剥いで磨けばちょっとした高級家具っぽくなる。これも面白いかも知れない。冬は雪の下に埋まって凍ったまま春を迎え、乾燥して亀裂が走るかな?あれこれとイメージするこの時がなんとも楽しい。木のある風景、それは山暮らしの楽しみの一つなのです。

2011年8月2日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・さようなら <標高96m>


数日前大きなミヤマカラスアゲハがオープンデッキにハンギングしている植木鉢の花にやってきました。吸蜜している姿を観察していたとき、この蝶が満身創痍であることに驚きました。

羽根(前肢)の第二左径脈〜第五径脈〜第一腎脈までが欠落しており、右の尾っぽ(後肢)の様な第三中脈もありません。よくこんな姿で飛んできたものだと感心するとともにこの蝶が哀れに思えました。


しばらく花の蜜を吸っていましたが、目を離した隙にどこかに行ってしまいました。ひょっとすればこの世で最後の吸蜜行動だったのかも知れません。それと言うのも夕方になって雷が鳴り、強い雨が降ったのです。既に子孫を残す役割も無事終えたのだろうと思います。ご苦労様、お前が最後に訪ねてくれたことをいつまでも忘れないよ。さようなら。