日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」 第4回
ここで松浦泉三郎氏の「旅のインチキ點景」なる文章をご紹介します。昭和七年一月一日発行、日本旅行協會 「旅」より。
「路上生活者の新商賣」
東北筋のある温泉町———
食後の散歩をステーションまでのばして、そこで時計を合わせて帰ろうとすると、寒い風の中に、共同便所の塀にもたれた一人の男が、蒼ざめてしゃがんでゐる。ボロボロのインバネスにすっぽりと身を包んで・・・・時代が生んだ哀れな失業者、さういった格好だ。
『君々、どうしたんだい今頃?』『へえ』、呼れて初めて氣づいたもののやうに、もの憂げに擧げた、髭むじゃな顔。
———語りだした。
東京で就職の望みがなくて、妻子を殘して、職を求めて地方を流浪したが、何處も同じ不況の嵐。無爲の一年有半。と、妻からのたよりだ。愛兒危篤・・・・けれども、嗚呼、
半乞食暮しの失業者に、何で東京までの汽車賃があらう。而も、自分も今は半病人だ。
『旦那、あたしは身を切られるよりも、まだ、つらうございますよ!』
———涙が頬を濡らしてゐた。興へられた五圓紙幣を押戴いた彼は、何度となく、額を地にすりつけながら、くどくどしく禮の言葉を繰返した。
小さな善事のあとの愉快さに、相當飲んで、氣持良く、二軒目の酒場の扉を排したのは、それから二時間の後だった。
『開業第一日目の大成功だ。ウンと飲みなてえことよ。ヘヘッ、世間には莫迦もゐらア』二人連れの先客。聞き覺えのある聲だ。『アッ!』『おッ!』五圓紙幣に涙を注いだ失業者は、友達と一緒に、大満悦の態で痛飲最中だったのだ。
ふと、側の風呂敷に眼をやると、なんとその間から覗いてゐたのは、最前の、あのボロボロのインバネスだった・・・・。
次の瞬間、咄!!彼は卑しい笑ひと共に、空々しくも、かう云ったではないか。
『へえ、先程はどうも、今日てえ今日は、全く神さんの御加護で、なあに、あれから直ぐに、この友達の野郎と、へえ、三年振りで會ひやして、ま、兎に角、終列車までつきあってくれ、へえ、かう云はれやして、へへ・・・・』
翌日の同地々方新聞夕刊社會面の一隅の見出しに曰く。
———考へたりな失業職工の新商賣、
———開業日に因果は廻る御用の聲
(庵主の一言)
なんだか、昭和7年も平成24年もそう大きく変わらないような気がしています。景気が後退して、多くの失業者が出ている。ホームレスの人々も増え、政治も経済も不安定。
色んな詐欺が横行し、凶悪な事件も後を絶たない。せめて庶民の楽しみは、温泉にでも行ってゆっくりしたいもの。でもそんな道中にも、騙されて金を取られる事もある。落ち着いて温泉にも入っておれないのかしらね。
「情けは人の為ならず」という諺があります。人のためになにか役に立っておけば、いずれ自分の身にもそれなりの良い事がやってくるでしょうという意味です。「義を見てせざるは勇無きなり」(論語)、見て見ぬ振りは男の風上にもおけねえや。もう一度じっくりと味わいたい言葉であります。
(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます