2012年7月21日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・言葉のアーカイブス <標高409m>



日本旅行協会 『旅』一月号、昭和七年一月一日発行を読みながら。「バック・トウ・ザ・パースト(時を戻して)」  第 6 


【多藝の龜甲齋虎丸師】
・・・・眞菰の中にあやめ咲くとはしほらしやアーー

の情調はなくとも、玉楼のおばしまに紅いメリンスの長襦袢のおいらんが南京豆を囓ってゐやうとも、行こか戻ろか思案橋と唄れる、加藤洲十二橋正體が、細い河の兩岸をつなぐ二間ばかりの板一枚であるに過ぎなかろうとも、水郷潮来の情趣は、やはり懐かしさをそそる何かしらがあった。

佐原からポンポン蒸気に揺られて大利根に出て、まんまんたる水々々の面を、一路潮来へ向ったのは、浪のうねりに冷々と秋を感じた頃だった。

ホテルを福屋といふ。汽船發着所のまん前まんまんたる水に臨んだ新しい旅館だ。夕方に着いて一泊。翌日の晝下り。

『今夜演藝大會に来て下さいょぉ・・・・』帳場側で新聞を讀んでゐたら、謄寫版刷り半紙一枚のチラシを、さも心安げに聲をかけて投込んでいった、オールバックの、若い、藝人タイプのお床があった。


ハイヨと、これも氣軽に受取った女中の手から、チョットと借受けて讀下すと、トタンに嬉しくなっちまったものである。

来レ! 演藝娯楽大會!
秋の一夜を東都一流の大家の熱演に聽け
浪曲 本家龜甲齋虎丸(ニセモノ御注意——龜甲齋に非ず)琵琶・・・・落語・・・・

浪曲家以外の名は忘れたが、ニセモノ御注意——龜甲齋に非ず、の如きは、斷じて凡俗の徒のよくするところならずと、やけにホガラカな氣持で、同夜、會場を訪れたと思召せ
臺では、龜甲齋同様、東京の眞打類似の名を持つ若いハナシカが、既に熱演中だった仲々旨い。手に入ったものだ。が、よく見ると、それは晝間のビラ撒きの男だった。

次は琵琶、石童丸——だ。是も田舎廻りにしては相當聞ける。而るに、良く演者の顔を見ると、髪の格構も、薄い顎髭のある點も、出演者とはちがひ、眞に良く似てゐる。恐らく兄弟だらう、私は眞實さう思った。

と、次は龜甲齋虎丸師、五ツ紋の羽織、肩まで垂れた長髪、白足袋、悠然と語出した。鼻下には美髭まで貯へてゐて、仲々立派だ。語る浪曲も決して馳出しの業ではない。聽衆も感心して聞惚れてゐた。

その最中私は意外な發見をして吃驚した。痣。紫がかった痣。腕を擧げる度に、右の袖口から見える相當大きな痣。それは、虎丸師ばかりでなく、琵琶師にも、落語家にも、さうだ、たしかにあった。偉大なる發見よ。

虎丸師も、琵琶師も、落語家も、實は扮装を異にした同一人だったのである。そして、この綜合演藝大會の出演者は、なんと、ビラ撒き氏唯一人であったのである。

嗚呼、偉大なる名人インチキ子よ。あの、秀れた、田舎廻りの、天才藝術家?は、今何處を彷徨してゐることやら。


ちょいと一服(イワナの骨酒)

(庵主の一言)

この話に出てくる吾人、まことに立派としか言いようが無い。浪曲、琵琶かたり、落語家、一人三役をこなす芸人が今日のテレビ界にいたとしたら、まさに引く手あまたでありましょう。
また「英語」、「フランス語」、「ドイツ語」の三つの言葉を正しく話すマルチ人間も貴重な存在でしょうな。どこかの国では外務大臣ですら「英語」がお出来にならないとか。アンビリーバブルなことで・・・


(庵主の思い出日記:時を戻して より)続きます

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