2013年3月23日土曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ジャズパブ維摩 31 <標高574m>



伝説では、女傑・神功皇后(3世紀)が朝鮮に遠征しての帰途、戦勝を記念して黄金の甲(兜)をはじめとし、宝剣・弓矢などの武具を山頂に埋めたことから甲山と呼ぶようになったと伝え聞きます(西宮市資料)。つまり甲山は武器の庫(武庫)の意味で六甲の名はこのムコに六甲(ムコ)の字をあてたものであり、兵庫の県名も同じく武庫に由来するというのだ。

そこでもう一つ不思議な事がある。山の頂上に登ってみると、その眺めは不思議な山に立った感があり、眼下には無数のいわくありげな巨石群が、あたかも甲山を礼拝する群集のように点々とつらなっています。ちなみに神呪寺の南に続く目神山(めかみやま)台地にも謎の石室遺跡が多く見られ、現在は石仏などが置かれているが、本来は甲山信仰に根ざす何かの施設であった可能性があると言われています。

そんな訳で信二と祇乃が詣でようとしている甲山の知られざる一面に光を当てて見ました。

それではもう一歩踏み込んで、この不思議な『神体山』と『カタカムナ超文明』について調べてみましょう。そこには、信二と祇乃が出会ったミステリーゾーン、『十和利山、迷ヶ平』との繋がりがいずれ明かされる事でしょう。

ではいったい、いつ、いかなる人々がこの巨石文明をになったのだろう?色々検証した結果、これらは記録や遺物が残らないほど遠い過去のものと考えられます。六甲巨石文明の研究家、荒船氏はこの様に考えています。

近くの越木岩(こしきいわ)神社の境内に存在する、甑岩(こしきいわ)などのメガリスを太古、高天原から下った天孫族(皇室の祖先)が、神々を祭るために築いた神座(かみくら)であるとみなし、六甲は神道科学を実践するための一大祭祀センターにして、周辺には人口数百万をようする大都市が栄えたと主張しています。

これに対して最近の研究家は、『カタカムナ文明』というものを想定している。これは昭和24年、楢崎皐月(ならざきさつき)という人が金鳥山を調査中、平十字(ひらとうじ)と名乗る不思議な老人から見せられた『カタカムナ』なる奇妙な象形文字を綴った古文献から提唱された説で、解読の結果、そこには超古代の六甲に栄えた科学原理が歌の形でしたためられていたという。

その時代は今からおよそ2万年前。とすると、湯気をあげ、白煙を吹いたという甑岩は、『カタカムナ人』のエネルギー集積炉のようなものだったのだろうか。世界の巨石文明の発祥地は『六甲』であり、後年、エジプトのピラミッドを建造した技術やフリーメーソンの石工ギルドには、『カタカムナ人』が関与しているとの説もあるらしい。『六甲』には、巨石科学の原点が秘められているように思えてならない。私どもが現在使っている「カタカナ」の文字は、遥かな昔「カタカムナ人」が創始したとも伝えられているのです。GAKKEN BOOK 日本ミステリーゾーン・ガイド参照)

事の真偽は別にして、宇野信二と、芹沢祇乃が時代を同じくしてこの不思議な山に憧れ、その目に見えないエネルギーを自分の人生に吸収しようとしたのは全くの偶然であろうか?

そこには、かくすれば、かくなる。との遠い過去からの『計らい事』が存在していたのかも知れない。我が国日本は、古くから『八百万の神に対する、信仰国家』でもあるのです。

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