2011年10月14日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・聖書に学ぶ <標高163m>

【クリスマスの意義(上)】

マタイによる福音書、第一章一節~




この一節~十七節までは、イエス・キリストの系図として、アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図が記されてある。全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。(十七節まで)

「イエス・キリストの誕生」

キリスト教では1130日~1225日までをアドベントと言います。これは「待ち望む」という意味であり、イエス・キリストを文字通り待つのです。

11月の第一日曜日は聖徒の日です。111日を万聖節といいます。キリスト者達にとって、信仰の先輩の魂が教会に帰ってくるという考え方がありました。万聖節の前夜祭をハローウィンと言って、それはちょっとしたいたずら心でもあります。

ハローウィンとは万聖節(11 1 日)の前夜祭です。古代ケルト起源で、秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭りです。アメリカでは,カボチャをくりぬき目鼻口をつけた提灯(ちようちん)を飾り,夜には怪物に仮装した子供たちが「お菓子をくれなきゃ悪さをするよ」と言いながら近所を回り、菓子をもらいます。ということで、こちらは聖書に出てこないことなので、教会でも幼稚園でもなにもしないところもあります。そして間もなくアドベント、教会はクリスマスの準備を始めます。

日本のクリスマスは騒々しいのですが、ドイツの教会は特に質素であります。12月25日までのアドベントの期間、敬虔なクリスチャンホームでは、お菓子も少し苦みをつけるのです。それは罪の赦しの為にであります。だからこの期間はけっして、お祭り騒ぎをしないのです。

このマタイによる福音書、第一章は「待ち望む」といったカ所なのです。マタイはイエスの物語を書くときに、誰に対してそれを書いたのでしょうか? それは同じユダヤ人にイエスのことを判ってもらいたいと考えていたのです。ユダヤ人に旧約聖書の流れを知らしめたいと思って書いたのでした。

ユダヤ人の中から救い主を顕すという約束をし、ユダヤ人はそれを待ち望んでいました。今でも古い考え方のユダヤ人達は、イエスを救世主とは未だ認めている訳ではないのです。これから先にまだ救い主が現れると考えている人々もいるのです。

だから彼らの中には、十字架を使わない人もいるのです。マタイはそういったユダヤ人に対して、十字架に磔られた方が救い主だという思いで、この福音書を書き続けたのです。

立派な人たちだけを神が祝福されて、一般の人々、売春婦、徴税人たちは神から見放された人々だとの考え方が当時のユダヤ人社会にはあったのです。

律法を守れない人々には救いは無いとの考え方、それは裏返せばユダヤ人だけが救われるのだという考え方でした。外にいる人々は異邦人だったのです。

またユダヤ人達は、男性の方が女性よりも優れていると考えていました。そして神殿の中の場所にもハッキリとした階級差別があったのです。マタイは考えていました。そうではない、救い主が現れる時、全ての人が神に導かれるという事を。そしてそれを常に説いてきていたのです。


ホワイトクリスマスを迎える準備 By Jun







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