【救いは近づいている(上)】
ローマの信徒への手紙 第13章11節~14節
さて今日の「聖書に学ぶ」は、ローマの信徒への手紙です。ここで呼びかけているのは、パウロであります。いつもの様に聖書を紐解きながら進めてまいりましょう。
「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです」11節
新解訳聖書では、「知っているのだからこのように行いなさい」と強く訳しています。
パウロは救いが近づいていると言っています。大事な時なのです、しっかり目を覚ましていなさい。そして「時」に対して「配慮」であってほしい。まさに「時」が大切なのです。「時」は偶々与えられて流れて行く、あたかも漠然としているようですが、パウロはそうは言っていないのです。
神様から与えられたものという考え方なのです。神様の定めの「時」があるのです。そしてパウロは眠りから覚める時が既に来ているのだと言っているのです。皆さん、神があなた方に与えて下さった「時」を目を覚まして「知って」「生かして」ほしいと言っているのです。
「終末論」という言葉、考え方があることはご存知でしょう。それは必ずしもこの世の終わりを示唆するのではなく、それは一つの「希望」なのです。「終末」が来るとは、「完成」を意味しているのです。
ローマの教会は厳しい迫害の中にありました。イエスの再臨を願ってはいましたが、迫害の中にあっては、諦め、ほどほどにしようとする人々もいました。
「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」12節
夜は更ける、そして日は近づいた。でも人々はそれを素直に信じることは出来なかったのです。ローマ帝国は、教会において皇帝礼拝を強いていました。それをしないと人々は市民権を剥奪されたりしたのです。
だからこそ、迫害の世の中では、そんな希望的観測は出来ないだろうとみんな思っていたのですが・・・。
パウロはイエスが再び来られて、この世を完成させて下さると明らかに言ったのです。クリスチャンとしての生き方を問いながら生きましょうと。ではなぜそう言うのでしょうか。
「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません」13節~14節
品位をもって生きよ、慎ましく歩もう・・・酒宴と酩酊、淫乱と好色・・・
これらは自己中心的生き方、隣人愛に反する事なのです。12節では、キリストによって救われた人々の事を述べています。神様を信じ、イエスに贖われた者の生き方を述べているのです。だれかの為に仕える生き方をしましょう。ねたみや争いのあるところには、愛がないのです。
オガトラノオ By Jun
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