【救いは近づいている(下)】
ローマの信徒への手紙 第13章11節~14節
有名な神学者であった大学の神学部のカールバルトは、アメリカでの講演旅行中に「聖書の教えとは何ぞや」との質問を受けたとき、讃美歌「主われを愛す」を歌い出したほどの信仰者でした。
同じ大学の哲学部の教授であった、ヤスパースは学生に人気がありました。そんなある日カールバルトは一種の嫉妬心からか、ヤスパースの教室に学生が何人入っていたかを聞いたのです。かの有名な神学者でも、そのような人間の弱い一面を持っているのです。
そこでパウロは言います。主イエスキリストを身に纏いなさいと。アウグスチヌスが聖書のここを読んで改心したと伝えられています。彼は聖書を若い頃から読んでいました。そしてある日、ここを読んだ時、心が変わったのでした。
彼はつぎのような人生を送っていたといいます。16歳である女性と同棲します。18歳で子供が出来ています。まあ考えようではそんなに早くもなかったのです。アウグスチヌスは、身分が高い人でした。相手の女性は身分が低かった為、彼は親の同意を得られなかったのでした。
アウグスチヌスの母親は、その女性を嫁として認めませんでした。アウグスチヌスは18年間、その女性と添い遂げましたが、最後は女性の方から身を引くことになって別れます。
そして彼女はクリスチャンになって、修道院に入ります。彼の母親は非常に喜び、今度は別の若い女性と息子を婚約させます。しかしアウグスチヌスは婚約期間中に、また別の女性と関係を持ってしまうのです。そして婚約していた女性とも結婚が出来なかったのです。
始めに愛した女性をも裏切ってしまった、彼は自分の人間としての醜さに愕然とします。その時この聖書の言葉に触れたのです。
生きるという事は人間として色々問題を持ち、悩み苦しみに苛(さいな)まれます。そんな人をも、いやそんな人こそ、イエスは救って下さるのであります。
パウロの言葉は「招き」の言葉でありました。人は時として自分の事を忘れて、周りの人々を隔てて審いてしまう。たとえクリスチャンであっても、その人間の苦しみを持っていたとしても、それでも救われるのです。
罪をおかす可能性を誰しも持っているのですが、そのような私達でもイエスキリストを「着る」事が出来るのです。
ガラテア書には、洗礼を受けた人は、イエスを着た人々であると書かれています。その行為を大切にしようというのが、この聖句のポイントであります。隣人を徹底して愛し、赦していくことが最も大切な事なのです。自分に敵対する人をも、愛し、赦し、受け入れることが最も大切な事であるのです。
パウロは人間のそのような面を全て知り、理解した上でこの聖句を残しているのです。
深い霧の日もいつまでも続かない 陽の光が差し込めば消えていきます 心を神に振り向け明るく生きましょう あなたにしか出来ない使命があるのです さあ笑顔を絶やさず出発です By Jun
お早うございます
返信削除木々が 纏う粉雪の白さが 眩しく映ります
聖書は 素晴らしい内容で 一杯なのでしょう。
こうして ご紹介くださると その一節 一節を
噛みしめるようにしておりますが 中々 理解
実践には 程遠い現状です。
これからも よろしく 願います
星の王子 様
返信削除こんばんは。お訪ね下さり有難うございます。
『聖書に学ぶ』は多くの方々が心を一つにしてくださっています。ボクもアップのし甲斐があります。お若い人も、お年寄りも、それぞれ人生経験が違い考え方も異なってはおりますが、真剣に生きよう、まじめに正直に生活しようと言った気持は同じでありましょう。
こちらからも宜しくお願いいたします。秋の美しい景色の中で、心を清らかに磨きたいものです。