2012年11月1日木曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・ジャズパブ維摩 1 <標高482m>



旧居留地煉瓦路 西入る  『ジャズパブ 維摩』

【プロローグ】

『ジャズパブ 維摩』(ゆいま)と読みます。釈迦の弟子で、在家のままで悟りを得たと言われている『維摩居士』。その名前を付けた神戸の小さなジャズパブで繰り広げられる人間模様。涙あり、笑いあり、ちょっと怖いお話、それに男と女の色模様。どの様な展開になるかはボクにもわかりません。一週間に2回程度のアップです。全てフィクションです。それではどうかお楽しみ下さい。(平成19年秋)

☆ ★ ☆

私は、『旧居留地煉瓦路 西入る』でジャズパブ維摩(ゆいま)の主人と言うのでしょうか、まあ外人さんにはマスターと呼ばれています。いずれにしてもそこの『あるじ』であります。自己紹介をしておきましょう。年齢は61歳。名前は、井筒 修(いづつ おさむ)、常連は『いづしゅう』と呼ぶ。略して『いっしゅうさん』が通り名であります。

この神戸海岸通りの小さな一隅に店を構えたのは、今から35年程前の事でした。地元の大学を卒業して、しばらく大阪の大手薬品メーカーに勤めていましたが、ある事情で会社を辞めて、生まれ故郷の神戸の地で小さな『隠れ家』の様な店を持つことにしたのです。

この話には、実を言うとスポンサーがいたのです。この神戸の地で手広く真珠の商売をしていた私の叔父がその人でした。叔父は私を大学まで出させてくれたまさに親代わりでありました。と言うのは私の両親は、今から45年ほど前にある事故で帰らぬ人となったのでした。

その時から叔父は私を自分の家に引き取って、高校、大学と全ての面倒を見てくれたのです。彼の奥さん、私にとっては叔母になりますが、人偏に善人と書いた様な優しい女性でした。市の孤児院などにも物心両面の援助を欠かない陰ひなたのない人でした。
そんな中で育った私は、今から思うと幸せ者でした。両親と若くして別れましたがその寂しさ、悲しさを、カバーして余りある叔父と叔母の愛に守られてここまで来た男でした。まあ自己紹介はこれくらいにして、相棒を紹介しておきましょう。

ほら、そこの薪ストーブの傍で一際長く寝そべっているのがそれです。『おい、ジャモウ起きてご挨拶だ』。そう言ってわたしは、ジャモウに声をかけた。変な名前だとお思いでしょうが、毛足が長く、モジャモジャであるから『ジャモウ』と呼んでいるのです。本人(?本猫?)も気にいっているようで、私が声を掛けると一回目はまず無視をする。二回目にやっと眠そうな顔を上げる。シャムがかかった雑種ではあるが、お客の中の猫オタクに言わせると、とても珍しい猫だとの評価を頂いている。彼(言い忘れていましたが雄です)は、ある寒い木枯らしの吹く夜、閉店間際の『維摩』にソ〜ッと忍び込んできました。私が木のドアーを締めようとしたその時、まるで忍者のように音も立てずに入り込ん出来たのです。

この寒さに追い出すのも忍びないので、一晩だけと思いドアーに鍵を下ろしました。その時からジャモウの定席が、薪ストーブの横にある薪の上という事にあいなったのです。

どこで飼われていたのだろうか。港町には外国航路の客船や、商船が出入りします。これは私の想像の域を出ないのですが、そこで船員に飼われていたのが迷いだして、神戸の街に不法入国する事はないとは言えない。

客の中の猫オタクがこんな事を言った。『マスター、俺が船に乗っていた頃、南イタリアのシシリーに上陸したのよ。その時港町の居酒屋にいたのにそっくりだぜ。ひょっとすると、そいつじゃないかね』って。

まさかとは思うが、聞いていて面白い話である。出入りする客の中には、なにか訳ありで、影を引いているのもいる。それを癒しにここを訪ねてくるのかもしれない。ジャズの音色と、酒、煙草に痺れたい連中ばかりであります。

ジャモウは、彼らを睥睨しながら『しっかりしいや』とでも言っているような面持ちでじっと眠ったふりをしている。その時です、ぶ厚いドアーを押して『辰つあん』が入ってきました。ジャモウはもう構えています。ちょっと嫌いな人種らしい。なぜなら『辰つあん』の商売は、ここ三宮で三味線屋を営んでいるからであります。


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