世の中、以前に比べて住みにくくなったというのが、ここに来る連中のトータルな意見であります。中でも『庵主様』、月に二、三度顔を見せるが、何をして生活しているのかは誰も知らない。本人がよく『年金生活者の我々は』、などと枕詞を使うので、みんなそう思っているだけで本当のところは未だに誰にもわからないのです。
今夜も7時半を過ぎた頃でした。杖をついてふらりと入って来ました。『庵主様こんばんは』とハヤマさんが挨拶をしている。『どうされたのですか?杖なんか持って』『アホ、杖じゃなか、マウンテンストック! ん〜ん これでもドイツ、レキ社の優れ物じゃで』『杖とどう違うんですか?』『杖はただの棒じゃ、これはシャフトの中に、スプリングが仕込んであって、歩いていて、疲れがうんと少ないのじゃ』
『ああ、山に登る人が持ってるあれ?』『そうじゃ、ワシにとっては、階段も坂道も山みたいなものじゃよ、まったく』。
『庵主様、お元気でしたか?』『いっしゅうさん、元気でしたよ、気持だけはね』『その後お体はどうなんです?』『はい、小康状態を保っとります』『そりゃ、まずまずですね。お寒いからお風邪にはご注意を』。
庵主様はおしぼりを手に取って額のあたりを拭いておられる。
庵主様はおしぼりを手に取って額のあたりを拭いておられる。
『なに差し上げましょ』『ジンをもらおか』『どうなさいます』『ストレートで』。
『ええ〜っ、ジンストですか?』『そや、パンストとは違いまっせ』『いややわ、庵主様』。ジャモウがムクッと起きあがって、庵主様の膝のところに近寄って行く。じゃれつくように、体を擦りつけている。庵主様の紺色の作務衣がジャモウのヨダレで濡れて光っている。
『こらジャモウ!』と私が叱るが、離れない。それもその筈、庵主様のお家にも猫がいるらしい。それは本物のシャムネコらしいのだ。それも血統書付きの雌猫。ジャモウがじゃれつくのも、無理はない。そんな時・・・
『じゃまするぜ』と一人の男。ヤンピー(山羊皮)のブルゾン、白いマフラーを小粋にまいて、革の長靴を履いている。カウンターの隅に腰掛けておもむろにタバコに火を付けた。私はメル・トーメの『ナイト・アンド・デイ』をピックアップした。
『ようこそ、お酒は?』『ビールを』『領事館ビールでよろしいでしょうか?』『いいな』。余りしゃべらないニヒルな雰囲気である。ジャモウはもう庵主様の雌猫の臭いをかいだのか、安心してまどろんでいる。ダッチウエストの優れものが、良い火を揺らしている。
『失礼ですが、こちらの方ではございませんね』『ああ、気仙沼です』『遠いところから、ようこそ。庵主様、こちらの方、気仙沼からお越しだそうで』『ほう、そうですか。こんばんは、私も昔、気仙沼に二年ほどおりましたよ・・・良いところでした』。
庵主様がそう言った時、その男の顔に一瞬、なにか分からないが、戸惑いの影のようなものが過(よ)ぎった。その男はそれ以上しゃべる事なくビールを飲み、タバコを吸っている。ジャモウがのっそりと起きあがり、背を伸ばして弓反ると、おもむろにその男の傍に近寄っていく。ジャモウは人見知りが激しく、そう簡単には人間に寄りつかないのだが・・・。
特に三味線屋の辰兄いの傍へは、全くと言っていい程である。それは殺されていった三毛猫の断末魔の叫び声が彼には聞こえるとでも言うのだろうか。ところが庵主様には、まるで猫がアケビに酔うように擦り寄っていく。シャムの雌猫は絶大なる影響力を発揮するものである。その時のジャモウは、発情している事さえあった。それを見て、疾風真麻さんは、『キャー』といって赤面したのであった。
『お前そんな、年かあ!?』と言って辰兄いが揶揄した。ジャモウは、いつまでも庵主様の膝を離れなかった。私は、庵主様こそ日々その雌猫を『猫かわいがり』しているのだろうと思った。いやはやまことに霧に包まれたようなお人である。
白マフラーの男は、ジャモウを気にもかけず飲んでいる。私は明石蛸の薄造りとわさび醤油を酒の肴に出してみた。男はそれをじっと見ていたが、舌の上にのせて大きく頷いた。小一時間ほどいただろうか、金を置くと軽く会釈をして逃げる様に出て行ってしまった。
さあ、ちょっと人生の裏街道を歩いているような、こわもてのお兄さんが登場です。庵主様と気仙沼の関係は?その白マフラーの男の引きずっている影とは?『ジャズパブ 維摩』に港町神戸のクリスマスが近づいています。
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