『せんせ、今度のミュージカルお願いしていい、ね、ね、庵主先生!』
なんかもう決め撃ちの感じである。ジャモウがノッソリ起きあがって、庵主様の膝に飛び乗った。庵主様が困っているのが分かったらしい。彼なりのパフォーマンスである。膝の上で、ゴロゴロと喉を鳴らしている。ジャモウがご機嫌斜めの時の仕草である。普通機嫌の良い時そうするのが、猫の世界での一般的傾向であるが、それを一切無視しての振る舞いではある。
『いっしゅうさん、どないしたらええんぜよ、困ったきに』
苦笑いの庵主様。それもその筈、実はこの庵主様と呼ばれている御仁、またの名を「船坂 長庵」というペンネームで知る人ぞ知る、脚本家である。若い頃は、結構レビユーの台本も手がけている。新在家甲六師匠が知っているのは、人情話の世界の事であろう。
『ハヤマさん、それでは考えておく事にしましょうわい』
どうもこの御仁、愛媛、新居浜にも関係があるような方言を使う。神出鬼没である。ハヤマさんは、もう庵主様が引き受けてくれたかの様な歓声を挙げながら今夜のクリスマスチャリテイーに出かけて行った。残ったのは、庵主様、甲六師匠、ジャモウ、そして私。なんとも変な取り合わせである。
スイスの名品ヴィルレイが夜の八時半を告げた。ジャモウが耳を幽かに動かした。その後、鼻にキュッとシワを寄せた。誰かが近づいてきているらしい。その時ドアーが開いて、ラルフローレンのハンチング、ヤンピー(山羊皮)のジャンパーにジーンズ姿の『浜ちゃん』こと『浜 裕次郎』が入ってきた。
『ども、おばんです。ども、ども』と言って、カウンターの端に腰掛けた。『久しぶりでんなあ、浜ちゃん』『いっしゅうはん、おひさ』
と言って手に持っていた包みを出す。『蛸ちゅうのママとこで、たこ焼き買うて来ましてん、アツアツでっせ』。
ジャモウの鼻はこの匂いを察知していたようだ。
私は礼を言って、たこ焼きを舟ごとカウンターに並べた。何とも言えない良い匂いである。ソースとマヨネーズのはんなりとした色。青のりの醸し出す海の潮香。ジャモウは早速、庵主様のお膝の上でありついている。が彼は蛸は絶対に食べない。腰を抜かすからである。先祖代々受け継いだ生活の智慧である。さてこの青年、年は三十五、六か、まだ独身らしい。仕事は、定職なし。何で食っているのかと言うと、今流行りの『デイトレーダー』である。
まあ個人の『株屋』とでも言いますか。パソコン一台で、株のネット取引をしてその利益で生活しているらしいのです。私には全く理解できない世界ではある。しかしこのネット取引をバカにしてはいけない。一年間に2兆円近い金が動いているらしいのです。辰兄いなどは、ちょくちょく、浜ちゃんにご教授願っているようだ。どこを買うたかて? 『日本皮革』なんちゃらかんちゃら言う会社らしいのです。なんでも猫の皮を扱うている(?)との本当か嘘か分からん話を聞いたからなのです。
その株どうなったかて、詳しい事は知りまへんが、『猫の皮』だけにニャンともならんらしい。会社自身が『猫かぶっていたんやて』『おい、おい、そんな面白いネタ、ワイもろたで』
と落語家の新在家甲六師匠。
『浜ちゃん、酒何にする』『そやな〜、梅酒もらおか』『梅酒!?』
これも立派なお酒や。一応置いています。あの『うめ〜しゅ』ちゅう奴ですわ。浜ちゃんは、小型のパソコンをカウンターに置いて、早速画面を見ている。
私はパソコンの事はなにも分からんのですが、浜ちゃんに、たってと頼まれて維摩でインターネットが出来るように契約したんです。ネットパブの魁でありましょうか。さっきまでウトウトされていた庵主様がいつの間にか、浜ちゃんの背後からパソコンを覗いている。なにやら、浜ちゃんに指さしながら話している。へ〜とか、なるほどとか、浜ちゃんの感心する声がしている。
あの御仁、株もやるのだろうか。いよいよ得体の知れない人物である。外はもう煉瓦道にも真っ白に雪が積もっている。ビシビシ冷え込んできていて、酒でも飲まなおれんクリスマスイブになりましたんで。
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