花一輪・恋の笹舟(三十六)
湧水郷にさしかかった。もうあちこちに菜の花が咲き出している。いずれ一面黄色くなっていくその菜の花畑の中に、誰にも見られる事なく、独り歩いて消えていった菜々子の魂は、春になれば必ずここに帰ってくると順心は今も信じている。
水辺のあのあたりに、菜々子が倒れていたと聞かされていたところに腰を屈めて、小川の水を掌(たなごころ)に汲んだ。そばに揺れている菜の花に水をかけてやった。キラキラと早春の陽を受けて水滴は菜の花の茎をつたって溢(こぼ)れていく。
小川の水面に菜々子の小さな顔が映って、こちらを見て笑った様な気がした。『菜々子また来るよ』そう言って腰を伸ばした。
紅葉谷の寂夢庵は長閑(のどか)な空気の中に陽炎(かげろう)を纏って揺れていた。小さな畑には春の野菜が芽を出している。春禰尼が世話をしているのだろうか。順心は中に入って声を掛けた。が、いつもの応対をする様子がない。やむなく草鞋を脱いで庵の中に上がってみる。
小さな庵である。奥の部屋の前で声を掛けてみた。その時なにかが動く気配を感じたのである。そっと襖をあけた。そこには粗末な布団をかけて横になっている春禰尼の姿があった。
『尼様、順心です。如何なさいました?』春禰尼は何も応えず苦しそうな息遣いをしている。順心はそっと、額に手をあてた。尼の体は高い熱で火照っているようだった。順心はすぐさま表にでて、冷たい水に濡らした手ぬぐいを持って引き返した。そして尼の額においた。
尼は高熱の為、意識が朦朧としているようだ。かすかに苦しく呻くような声が漏れて出る。順心は急いで再び外に出た。ここから少し離れたところに富子という婆さんが住んでいる。そこに駆け込んだ順心は、事情を話し、二人して庵に立ち戻った。
どうやら尼は風邪をこじらせたらしい。富子婆は若い頃産婆をしていたと聞いていた。産婆であっても人間の体の事は充分承知していると見えて、煎じ薬を作ったり、粥を炊いたりとてきぱきと動いてくれた。
その夜、もう遅くなった頃、春禰尼の意識は戻った。熱もほぼ下がったようである。今夜は富子婆がついていてくれるとのことで、ひとまず順心は夜道を寺に戻った。
菜々子の面影を見た湧水郷でのこと、春禰尼の病の場に立ち会い、なんとか大事に至らなかったこと。それらを御仏の前で心から感謝をしてお勤めを終えた。
その時、ふとあることが脳裏を過ぎったのだ。それは尼の姿の中に菜々子の幻を見たような気がした。不思議な早春の夜が更けていった。
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【庵主よりの一言】
寂滅為楽(じゃくめついらく)
孤独(ひとりい)の味、心の安らぎの味をあじわったならば、恐れも無く、罪過も無くなる、真理の味をあじわいながら。
(法句経 二百五)