2013年12月6日金曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 815 m >



花一輪・恋の笹舟(三十一)

苦諦(くたい)・五盛蘊苦(ごじょううんく)

ここまで話した尼の顔には、心のつかえが少し取れたのか、頬にうっすらと赤みがさしてきたのが判りました。順心は過去の忌まわしい記憶を手繰りながら話す春禰尼を、まるで観世音菩薩の化身のように思えてなりませんでした。

『そんなことがあってわたしは中学を卒業して後、母の勤め先の社長様の紹介で大きなお屋敷のお手伝いにあがりました。そして六年後、そこの奥様のお計らいでここ丹波篠山のこの地に一人で庵(いおり)を結んだのでございます』

この話しは、今までの尼の人生の中で誰にも明かしたことがなかったであろう。たった一人で心の底に封印していたおぞましい過去の記憶、それを尼は「夜とぎ(通夜)」という言葉で順心に打ち明けたに違いなかった。尼の過去そのものを「骸(むくろ)」という形で、消し去ってしまいたかったのでしょう。


『尼様、よくぞお話し下さいました。順心め誓って自分だけの胸の内に秘めておきましょう。できればもうお忘れなさいませ、そして過去の自分を浄化の炎で焼尽くしてください。この順心をいつまでも尼様のお側近くにいさせて下さいませ』そう言ったとき、不覚にも順心の目からは大きな涙がポロポロと零れ落ちた。


春禰尼は順心の膝の前ににじり寄り、自分の着物の袖をそっとその涙にあてた。やがて順心の顔を包み込み、まるで赤子にするかのように、そのか細い両手を頬にあて優しく挟(はさ)みこんだ。その時順心は女人の手の温もりを生まれて始めて知ったのだった。


揺らいでいた小さな灯明がすきま風に煽られて、ふっと消えてしまった。そこにはもう一筋の灯りもない漆黒の闇だけが残った・・・。

☆  ★  ☆

【庵主よりの一言】


苦諦(くたい)・五盛蘊苦(ごじょううんく)

すべての「存在」に執着する苦しみ



眠れぬときは 夏の夜も長し 疲れしものには

 一里の道も遥けし 法(おしえ)を求めぬものには

会い難き 人の世も 空しからん



(法句経 六十)

2 件のコメント:

  1. こんばんは、お元気でいらっしゃいますか…私は10年前執着というものを封印しました。ただ風にふかれて生き長らえる選択をしました。しかしながら、私に吹き付ける風は「欲のにをい」でいっぱいです。その欲程、人間らしく愛おしく感じます。不思議なものですね…

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  2. maruru 様

    お早うございます。

    心をなにものかから解き放つことは、「ほどける」と言って、仏の心により近づくことでもあります。でも「欲のにをい」は至る所に満ち満ちています。自分の心の中には、越えても越えても「欲の壁」が続いていると言っても過言ではありません。その「欲の衣服」は年をとるに従って、一枚づつ脱げてもくるのです。それは周りの人たちの間では、お互いに脱がし合ってさえいるのです。「欲」には本来「善悪」はありません。その「欲」を自分の物にする時それは「見る人に」とって「悪」とも見え、「人」ために使う時「善」とも写るのでしょう。ではまた、お元気にて。

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