花一輪・恋の笹舟(三十三)
滅諦(めつたい)・静(しず)める、諸行無常
菜々子は寺の境内にある日突然現れました。順心が落ち葉の掃除をするために庭に出た時、その女の子は粗末な服を着て地面の上に落ち葉を集めて遊んでいました。今まで村の中で、誰も一度も見かけた事がなかった子でした。周りに大人の姿もないのです。
それはまるでこの地に突然舞い降りて来たかのような菜々子との出会いであったし、今もそう信じている順心でした。それからは何度か、寺の石段に腰掛けて、二人は童謡などを歌って過ごす日がありました。
菜々子の家はこの村の中にはありませんでした。どうやら隣の町に来ている旅芝居の役者の子供であるらしい。それ以外のことはなにもしゃべらない菜々子だった。
たまに順心が仏様のお下がりの菓子を与えると、菜々子は嬉しそうに胸の小さなポケットに入れました。自分では決して食べようとはしませんでした。ある時、野の花で作った腕輪のようなものを順心に差し出して「これ・・・」とだけ言った。
その年は秋が早く終わって11月にはもう寒くなった。思いもかけず霙(みぞれ)なども降ったのです。この辺りは、町中とは違って冬の冷えはきつい。雪もけっこう降ったり積もったりもするのです。花の輪を順心に差し出した菜々子は、その日以来とんと見えなくなったのです。
隣町の芝居小屋も来年3月にはここをたたんで九州の方に移動するらしいと、芝居見物に行った村人たちから聞いた。一度小屋を訪ねて見たかったが、寺に住み込みの順心には、それは許される事ではなかった。
年が明けて3月に入って間のない頃だった。あたり一面朝から雪雲に覆われて、山も村もまるで氷り漬けのような寒い日が来たのです。雪もうっすらと積もった。明くる日が旅芝居の一行がこの町を離れるという日だった。
夕方になって村の連中がなにやら騒いでいた。それは“湧水郷”で子供が死んでいるとの噂だった。通りがかりに、警察が調べているのを見てきたのだとその男は言った。順心は心の中に一瞬菜々子の事を思い出したが、頭を振ってその妄想を打ち払った。菜々子であってほしくないと、御仏の前で祈った。
その夜、院主が出掛けていった。町の旅芝居の小屋に行くと言って出掛けていくのを順心は耳にした。それが菜々子の死であると知ったのは、明くる朝の新聞であった。記事によると、その女の子は寺の方に向かっていたらしい。小さな川のほとりに倒れていたという。その体の上にはうっすらと雪が積もっていたと書かれてあった。
凍死であった。粗末な服のポケットには、ビスケットと花の輪が入っていたと言うのだ。順心は一人、寺の庭に出て泣いた。菜々子と童謡を歌ったその場所に座って涙が涸れるまで泣いた。菜々子がくれた野の花の腕輪は、春禰尼にもらった結び文と一緒に今も大切に懐にしまってある。
★ ★ ☆
【庵主よりの一言】
滅諦(めつたい)・静(しず)める
諸行無常(しょぎょうむじょう)
わが身を 泡沫(うたかた)のごとく
陽炎(かげろう)のごとしと うなずくものは
愛欲の魔の放つ花の矢を 打ちおとし
死王(しおう)の力の及ばざる領域(くに)に
いたらん (法句経 百七十)
「生滅のつきはてて、しじまをたのしみとす」
滅諦(めつたい)は「無常感の炎を静め、執着を押さえることが安らぎである」との沈静の真理です。
こんばんは、遅くに失礼します。
返信削除わが身を うたかた とまではいえませんが…
初冬の河に 散り浮かび流れにまかせる紅葉 が如く生きております。
沈むのか、はては大河の流れに乗り 海へと辿り着くのか…
ただ明日のみをせいっぱい生きること。今はそれしかできません。
良い事なのか、悪い事なのか、わかりません…
maruru様
返信削除お気持ちは私でもよくわかります。ただ、流れに任せて流れるだけではなくて、どこの港に舟を着けたい、というのもあるのではないでしょうか。それに向かって舟を操っていくのも一興かと思います。
maruru 様
返信削除お早うございます。ボクの大切な友人の洋帆さまよりコメントをいただきました。ボクは人生は「今」しかないものだと思っています。過去はもう無いのです。明日の未来は「今」を生きる結果として顕れて来るのですから、『今を生き切る』ことに意義があると思います。洋帆様もそのお気持ちではないかと拝察いたします。きょうもなにとぞご安全に。