『暁子さん、気仙沼如何でした、楽しかった?』とハヤマさん。『とっても、でもちょっぴり哀しかった』『哀しかったって!どうして?』。
そう言いながらハヤマさんは、庵主様の方に目をやった。『ちょっと、庵主様、あきちゃんを泣かせたの?どうして』『いやあ、あたしは何にも、していませんよ。ただ・・・』『ただ・・って?』『一緒のお部屋でね、フフフ、これにやあ 困ったね』。
『違うんですよ、ちょっとだけ庵主様のお世話をさせて頂いたの』と暁子さん。『私から言おう。実は私の旅行の目的は、お墓詣りだった』『庵主様のご先祖の?』といっしゅうさん。
『いや、そうじゃあないんだ。昔のしりあいのな』『ああ、お友達?』と麻沙美さんがニコッと微笑みながら言った。『若気の過ちじゃ、女じゃよ。面目ない』と庵主様。
『そんな事ないは!庵主様は、しずさんを心底愛しておられたわ』とあきちゃんが言います。『しずさん?その方は庵主様の・・奥様?』と、ハヤマさんがちょっと小声で庵主様を下から見上げるように聞きます。
庵主様から一通りのお話しを聞いて、なんだか「ジャズパブ維摩」にはメランコリックなムードが漂いました。
『みなさん、私からお話しがあります』と、マスターのいっしゅうさん。『11月23日には、ここにおられる浜ちゃん事、浜裕次郎さんと新谷暁子さんが結婚されます』二人に向かって一斉に拍手が贈られました。
二人が立ち上がって深く礼をしました。『仲人の労を庵主様ご夫妻がおとりになります』そこでまた大きな拍手がおくられました。
『もう一つおめでたのお話しです。新在家甲六師匠と疾風真麻さんが来年の春に、これもめでたく結婚のご予定です』みんなの驚きの歓声が維摩に響きました。『さあ、皆様グラスをあげましょう。乾杯の音頭を不肖、わたくすがとらせて頂こう』そう言って、庵主様はグラスをもって『カンペ〜イイ』と妙な掛け声を上げられた。
『皆様、私からもお知らせがあります』とまこっちゃんが言います。『来る12月10日、日曜日。みちのく割烹、「気仙沼」を開店致します』『それは、おめでとう』。といった祝福の声。
『お店はどちらで?』と興味津々の甲六師匠。『はい、宝塚の清荒神の近くです。小さなお店ですが、とってもしっとりとして、これは長年の僕の夢でした』『庵主様のお住まいの近くでしたか?』とマスター。
『ああ、すぐ近くじゃ。以前より仕事場にと思って蓬莱山清澄寺の麓の林の中に置いてあった家屋に、誠さんがちょっと手を入れたのじゃ』『あそこならさぞ静かでしょうね』とマスター。
『まあ、隠れ割烹とでも言おうか、自然の中で四季の移ろいを感じながら、酒を酌み、陸奥(みちのく)の食を味わい、楽しい会話をする。まあ割烹の神髄じゃろう』とは庵主様の解説であります。
『開店の前日、12月9日は内覧会として前夜祭を予定しています。皆様に是非お足を運んで頂きたいと思って』とまこっちゃん。『やった!』と女性陣が一斉に声をあげた。
そうこうする内に、気仙沼より届いた鰤のお刺身がテーブルに並ぶ。誠さんの差し入れで三陸王酒『両国』の純米大吟醸酒『亀鶴』が提供される。まるで、今夜は気仙沼での『青葉』の再現である。ジャモウとランジェはちゃっかり、庵主様のお膝の上にいます。ランジェを『よいしょ』と看板娘さんが抱き上げました。
ランジェは、看板娘さんのリュックの中で、揺られながら歩いた「迷い猫」の日を思い出していたようです。『みゃ〜う』とないて、胸の中に顔を埋めた。庵主様のお膝の中から、ジャモウがおじゃこを舐めながらそれを眺めています。
幸せ一杯の「維摩」の夜でありました。そんな事があって11月がやってきた或る日の事、目つきの鋭い、コート姿に鳥打ち帽を被った二人の男が、海岸通「ジャズパブ維摩」のドアーに手をかけたのです。