落葉松は雪に耐えていま芽吹きの季節を迎えた
枝につく小さな新芽は 数える気があればそれは可能だ
とは言えカウントするプロセスでまた新しい命が生まれる
彼らにとってこの針のような葉は 太陽の恵みをキャッチ
するまさに生命のアンテナなんだ
それぞれが与えられた使命を精一杯に果たして いずれかの
秋には金の雨となって風に舞い地を彩る
その針の数は億兆といっても過言ではない それも数える
気があれば決して不可能ではないが 誰もそれをしない
自然の営みは宇宙的スケールでこれからも繰り返されて行く
『俺がやったんだ いえ私がしたのよ』なんて落葉松は
ひとことも言わないで『いのちを いのちにまかせている』
(庵主の日時計日記:自然と私)より
落葉松の芽吹きを近寄ってみるとこんなカタチをしてるのですね。造形的で美しいですね。あの、秋に畑に舞い落ちたこげ茶色の邪魔者でしかない落葉松の葉とは全く違いますね。妙高に移ってきてからは家の前の道路に積もるようにバラ撒がれる落葉松の除去もひと仕事になりました。特に雨樋に落ちている葉は除去しないと樋が詰まってしまうので、ブツブツ落葉松に悪態を投げかけながら掃除していました。しかしこの美しさをみるとそんな気持ちもいっぺんで消えてしまい自然の中に生きる生命の仲間と思うようになりました。
返信削除小川 洋帆 様
返信削除こんばんは。
たしかにカラマツの針は困った問題も引き起こしますが、秋の頃ハラハラと降ってくる金の雨をみていると、都会では体験出来ない素晴らしい光景だと思えるのです。
また『落葉松』の合唱を聞いていると、自分の心の中にしみじみとした人生の哀歓を感じます。
コメント有り難う御座いました。お元気にて。