花一輪・恋の笹舟(十五)
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
「無罫礙故、無有恐怖」
順心が第二の故郷、丹波篠山の久遠実相寺(くおんじっそうじ)に帰り着いたのはもう十一月の半ばを過ぎていた。出立した頃は真っ赤に色付いていた楓も、今はくすんだ黄色に変わり、もうそこまで冬が来ていた。
峠を越えて、檀家の立ち並ぶ集落に入った。野良仕事をしている人々は順心の姿を認めて、手を止めて駆け寄ってきた。口々に無事にての帰村をわが事のように喜んでくれる。その純朴な気持ちが嬉しく、胸にこみ上げてくるものがあった。
長旅ではあったが、その間に歩いて鍛えた足は疲れを知らなかった。顔も浅黒く陽に焼けて、精悍ささえ漂わせている。会う人ごとに、逞しくなった順心の体つきをみて感嘆の声を上げた。自分ではそれと分からなかったが、久しく見ない人たちにとっては、まるで別人のように映ったのであろう。
小さな風呂敷包には、春禰尼にと思って買い求めた伊予絣の作務衣が入っている。首からは大きな托鉢のズタ袋を下げ、一本の樫の木で出来た杖を持っている。足には草鞋。それももうすり切れて、寺まで帰り着くのが精一杯である。
この丹波篠山の地を離れてみて、順心はこの山懐に抱かれた村々のたたずまいが、心から有り難く、懐かしく感じて、四国の道中にあってもそれは片時も忘れることはなかった。
のぼりの道を一回りすると、久遠実相寺の山門が見えてくる。苔むした長い歴史の感じられる寺である。そして山門の傍の大きな杉の木にすみついている、キジバトの啼く声がいつものように聞こえてくるであろう。それは私を待っていてくれたかのようにである。ここに生きとし生けるものへの愛おしさを一層深く思うのであった。
経を唱えながら一足、一歩と最後の行脚を進めている。この一瞬、一呼吸こそ、釈尊が御教えの中に語られた、不生不滅の実相世界であろう。こうして順心49歳の秋はいよいよ深まっていく。
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庵主よりの一言
無罫礙故、無有恐怖(むけいげこ、むうくふ)
「心にはひっかかりがない。ひっかかりがないから、恐怖心もないのである。心の苦しみの原因を作らない、心の窓を開く、ということは、何のこだわりもなく、豊かに、丸い心を持ち、おそれるところもなく生きる。」(谷口雅春先生 講義の筆記より)
もし私達が、恐怖心・取り越し苦労を生活の中から取り去る事が出来れば、それが原因で起こってくる「精神の不安定、ストレス」や「胃の痛み」、「不眠症」など多くの病から解放されるでありましょう。その解決方法は、またいずれ。