2013年9月10日火曜日

酔花 風酔 自然法爾のおきどころ・花一輪 恋の笹舟 <標高 734 m >



【花一輪・恋の笹舟(十)】

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

「無眼界、乃至無意識界」

高い石造りの天井にその経の音は立ち上ぼり、横の大石を舐め、溢れ出る温泉の湯に溶け込んで、周りの人々を芯から癒していくかの様であった。その様子を新しい湯治客が聞いてはまた湯船に集まってくる。


順心は目を閉じて経を誦している。あちこちに座って人々はその読経に手を合わせている。しばらくして順心が湯船から出ると老人などは、湯殿の敷石に正座をして彼を拝んだ。その光景はその昔、この地を巡られた空海の若き日もこうであったに違いないと観じられたのであろうか。



順心は風呂を出て部屋に戻った。そして静かに正座をして、丹波篠山の久遠実相寺を伏し拝んだ。そして彼はそっと懐に手を入れて小さな結び文を掌(たなごころ)においてそれを握りしめた。


 微かに震える指先で結び文を開くと、仄かに香(こう)の匂いがした。春禰尼がたきこめている香の移り香(が)であった。流れるような細い筆で和歌が一首認(したた)めてある。

『朝まだき紅葉の渓に散る葉さへ水に浮かびて流れしものほ』

順心はその一首に何時までも目を落としている。春禰尼の心を推し量ろうと思えば思うほど、心は千路に乱れるのであった。ただ一人、伊予の隠れ里の遍路宿に坐して、丹波篠山の地に思いを馳せる。

それは今まで一度たりとも経験の無かった女人(にょにん)に対しての恋慕の情そのものであった。自分の胸の中にまるで溶鉱炉に燃え盛る炎のような、ほの白い火が見えている。その火の奥に春禰尼の姿が陽炎(かげろう)のように揺らめいている。

その時、不覚にもその火が順心の体の中に潜んでいた「男の性」に点火したのを感じて、彼はしばしの間、御仏の前にひれ伏したのである。しかしそのいななく悍馬を、どうしても意(おもい)のままに馭することは出来無かったのであった。



2 件のコメント:

  1.  親鸞聖人も「見ざる、聞かざる、言わざる」の三つは自分で抑制できても「思わざる」だけはコントロールできなかったと嘆いておられます。男性が女性を恋い慕うのは人間の本質であり、どんな立派な人でも持っていますね。

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  2. 小川 洋帆 様

    いつもコメントを頂き感謝しています。仰る通り、人間の心の底には、女性を愛するといいますか、陰陽が一つに成って、結び合う願いがあります。それは決して邪なことではありませんね。

    ではまた、今日も一日ご安全に。

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